追悼 Helen Borrie 安らかにお眠りください

Firebirdプロジェクトの立ち上げから25年に渡り、Firebirdを支えてきてくれたHelen Borrie氏が2025 年 1 月 2 日にお亡くなりになりました。

Helenさんは、Firebird財団を立ち上げ事務局長として運営にあたって来ました。またHelenさんは、『The Firebird Book』の著者でもありました。

ニュージーランド出身でオーストラリア在住のHelenさんでしたが、以前にトランジットのため成田空港でお会いした際には、明るく朗らかなお人柄に触れることが出来ました。

Helen Borrieさんの御冥福をお祈り申し上げます。

Firebirdプロジェクトの追悼文 A sad day for the Firebird Project


以下に、2003年に公開した InterBase World誌のインタビュー記事を再掲いたします。

Interview with Helen Borrie

2003 / 3 / 3

2003 / 9 / 1 翻訳版 DelphiマガジンVol.30 掲載

Written by Marina Novikova
on InterBase World (URL http://www.interbase-world.com/)

翻訳:林 務

 本インタビューは、InterBase World のWebサイトでMarina Novikova氏によって公開されたものを、Marina氏とHelen氏の許可によって翻訳したものです。
 Helen Borrie氏はFirebirdSQL FoundationのPublic Officerとして、世界中のFirebirdを愛する人々のまとめ役となっています。また、2000年にFirebirdプロジェクトをMark O’Donofue氏と共に立ち上げられ、今もドキュメント担当Adminとしてプロジェクトの成功のために尽力されています。
 Marina Novikova氏はロシアの企業で英文翻訳とテクニカル・ライターをするかたわら、InterBase Worldの管理者をなさっています。Marina氏はInterBase Worldで、毎週のようにインタビューやレビューを更新されているのですが、このインタビューは、技術的なことやビジネスに関することだけでなく、各ゲストの人となりがよく現れていて、私はいつも楽しみにしています。


Marina Novikova: ヘレン、まずあなた自身について聞かせてください。趣味は何ですか?

Helen Borrie: たくさんあるわねぇ、趣味は。ギターとヴァイオリンを弾くわよ、そんなにうまくはないんだけど、音楽をやることは本当にプライベートな楽しみね、口笛を吹いたり、鼻歌を歌ったりするでしょ、それと同じね。気晴らしに絵を描いたりすることもあるわよ。アウトドアスポーツで好きなのはセーリングね、といっても最近はなかなかヨットに乗る機会がないわねぇ。たくさんモノを書いて、山のように読書をするわよ。やっぱり、Firebirdは私の最優先の趣味になってるわね、1999年の終わり頃からね。

Marina Novikova: どんな音楽をお聴きになりますか。

Helen Borrie: 私はとっても音楽が好きで、いつも聴いているわよ、そう寝ているときでさえもね。  何が好きっていうと、バロックをあげずにはいられないわね、特にバッハとスカルラッティね、ギターへの編曲は特にいいわね。でもね、“もっとも好きなモノ”はもうちょっと現代風のものよ。三本の指に入るのは、Delibesの「”Flower Duet” from Lakmй」、ロドリーゴの「Fantasia para un gentilhombre」、クイーンの「Bohemian Rhapsody」だわね。ジャズも好きよ、それと南アフリカのアカペラ的ボーカルもいいわねぇ。

Marina Novikova: お好きな本(作家)をあげて下さい。

Helen Borrie: これが好きっていうのは、本当にないわねぇ。私はとにかくいいモノを読むのが好きね。いまは、Carl HiassenとLouis de Berniиresの書いたモノなら何でも読んでるわよ。それと、トールキンはいいわね、最初に読んだのは7つの時代について書かれた「ホビット」で、それから好きになったの。息抜きに、Terry PratchettやLarry Nivenを読むんだけど、Barbara Kingsolverの書いたものは大好きよ。試しにウンベルト・エーコを読んだんだけど、彼の書くストーリーを追っていくのは、濃い森を抜けてワームを追うようなものね、それに彼の研究にはびっくりさせられるわね。

Marina Novikova: 料理はどんなものがお好きですか。

Helen Borrie: 特に好きなモノって言うのはないわね。マクドナルドとケンタッキー以外は大体何でも食べるわよ。そのときの気分と誰と一緒に食べるかによるわね。自分としてはスパイシーな料理が好きで、ステーキよりもシーフードの方がいいわね。パスタはあんまり好きじゃないわね、贅沢なデザートも大好きじゃないわね。それと、チョコレートにアレルギーがあるんだけど、ダークチョコのペパーミント・クリームは好物なのよねぇ。

Marina Novikova: 料理をするのはお好きですか?

Helen Borrie: 料理の腕前には自信があるわよ、お客さんになにをお出しするか考えるのは楽しいわね。誰かが私の作った料理を食べてくれるのであれば、私が外で食べてきたような、何か美味しいものを作ろうとすることは楽しいことね。そうじゃないときは、私にとって料理は単なる雑用にすぎないわ。

Marina Novikova: ちょくちょく料理するのは何ですか?

Helen Borrie: 一人暮らしなんで、手際よく料理しちゃうから、そんなにしょっちゅう料理をしなくちゃならないってことはないのね。食事をつくるときは、4回分作って3回分をフリーザーに放り込んでおくのよ。パンはしょっちゅう焼いてるんだけど、なんでかっていうと白パンは食べたくないんだけど、このへんじゃいいホールホィートがなかなか手に入らないのよ。シリアル、サンドイッチ、新鮮な果物がダイエット食の主流ね。わびしいわねぇ、でしょう?

Marina Novikova: マオリ語をご存じですよね。どこで習ったのですか?

Helen Borrie: 私はニュージーランド人なのよ、マオリ語はニュージーランドの二つの公用語のうちの一つで、三年次には教わるようになってるのよ。私がマオリ語を学んだのはオークランド大学で、記述的言語学の共通専攻科目として、私の学位に必要だったのよ。ところが、その言語に私はすっかり夢中になってしまって、いくつかの素晴らしい人類学的言語学の研究に関わるようになって、私のライフワークになってしまったのよ。

Marina Novikova: マオリ語は難しいですか?

Helen Borrie: どんな言語も難しくはないわよ、もしプログラムコードをちゃんと書けるんだったらね。マオリ語はネイティブな英語圏の人々にとっては覚えるのは簡単ね、なぜなら、それは、聞き慣れない子音を持っていないので、簡単にうまく話し始めることができるのよ。世界をひっくり返してしまおうとヨーロッパ人がNZにやってくるまで、マオリ人は、書き言葉を持っていなかったようね。古いマオリ語の文学は保存されていて、口承によって受け継がれてきたのよ。多くのことが19 世紀に書き留められているんだけど、ヴィクトリア朝のお気に召さないところがたくさん削除されてしまったのよ。とっても残念なことね、口承によって伝わってきたものだから、はるか遠い昔の当時の言葉に触れることが出来て、比喩的表現を含んでいて、隠喩があって、小気味のいい駄洒落があり、とっても難解な悪い冗談があったりするのよ。今となってはマオリ語を母国語とする人はほとんどいないんだけど、でも良い話し手は、しゃれや巧妙な比喩を伴ってマオリ語をあやつっているわ。

Marina Novikova: 他にどんな外国語を知っていますか?

Helen Borrie: フランス語とドイツ語を高校と大学で勉強したわね。教室の外でどっちも話したことはないけれど。しばらくの間、イタリア語を教えていたんだけど、Firebirdが始まったんで幕が下ろされちゃったわね。

Marina Novikova: ビールは飲みますか?もし飲むなら、どんなモノがお好きですか?

Helen Borrie: 晩酌はしないタイプなのよ。ビールを飲んでもいいと思うときは、ボートレースを終えたときね。それと、どのビールがいいとかそういうのは気にしないわ、ちゃんと冷えていて数が足りていれば、あとは一杯目を一気に飲み干すってことだけね。

Marina Novikova: 旅行はお好きですか?これまでに外国ではどこへ行かれましたか?

Helen Borrie: 私はニュージーランド人なんで、それだけで「OE(海外経験)」ありってことになるわね。みんなそうなるんだけど、なんでかっていうとニュージーランドは大海の中の3つの小さな島なのよ。もう6年間イギリス連邦に住んでるんだけど、ヨーロッパをとっても小さくしたように見えるわね。カリフォルニアには仕事やカンファレンスで何度も行ってるわよ。「本当」の旅行をする経験っていうのは、まだまだ先になると思うわ。スペインやロシア、中国には「ぜひ」行ってみたいわねぇ。

Marina Novikova: スペインやロシア、中国へ行くとしたら、どこへ一番最初に行ってみたいですか?

Helen Borrie: そのとき次第ね。旅行するんだったら目的がなくっちゃ、観光客になっちゃうと絶対に飽き飽きしちゃうわね。毎日4時間も熱心にギターを練習していたときのことだけど、私の夢はスペインへ行って、ギターメーカーへ行ってみることだったのよ、特に私のギターを製造したメーカーへ行ってみたかったわ。ロシアと中国はどっちもとてもミステリアスね。そのせいで旅行の目的地として興味をもつのね。でも、自分が旅行するならプロジェクトになるようでないとね、本当にそこを研究して訪れて、なにか面白い目的を見つけ出すとか、自分自身の考え方とは全く異なる文化について、見てきたことを本に書くとかね。

Marina Novikova: 人生の中で、もっともエキサイティングだった日とか、最もすばらしい瞬間とかを覚えてらっしゃいますか?

Helen Borrie: 最初の子をこの手に抱いたときは、間違いなくそうだったわよ。よく言われるけど、母親は出産の痛みを忘れてしまうというのは、本当ね。自分自身の子供を抱き上げる経験というのは本当にすばらしいものよ。あらゆることをぶっ飛ばして、絶対に忘れられない瞬間になること請け合いよ。ベルリンの壁が崩壊したっていうのがその次くらいになるかしらね。冷戦の中で育ったから、生きている間にそんなことが起きるとは思いもしなかったわね。でも、起きてしまったら、あっという間だったわ。世界や、希望、人間性について考え方が変わったわねぇ。

Marina Novikova: どんなことが嫌いですか?

Helen Borrie: 家事よ。仕事でやるインタビューも。引っ越し。テレビで演説を見ること。ランニング。歩くんだったらとことんいけるんだけど、走るのは嫌いなのよね。

Marina Novikova: どんなことでイライラしますか。

Helen Borrie: バカみたいなことね、ここオーストラリアの連中みたいに、火のついたタバコを車の窓から投げ捨てて、山火事を起こすとかね。お節介なアドバイス(いつもイラつくわ)。一般的なことだけどひどい騒音、声が大きくて甲高い人達、それからレストランでかかっている音楽が、会話できないほどうるさいこと。スーパーマーケットでふざける子供たちを叱りつけている母親とかね。

Marina Novikova: 大きな夢はありますか?

Helen Borrie: 長い目で見ると――いつの日か隠居して、ボートを買うだけのお金があって、食べていけて、自分の人生について小説を書き上げることができるといいわねぇ。短期間では――私のFirebirdに関するハンドブックを出してくれる出版社を見つけることね。

Marina Novikova: 今の生活について、3語で表現するとどうなりますか?

Helen Borrie: 4語で、「その日暮らし」(Living by the day)かな。

Marina Novikova: フェミニストについてどうお考えですか?

Helen Borrie: 17歳の時に、からかわれたんでブラジャーを燃やしてしまったのよ。いま、あからさまな差別文化の中で生きていて、私の娘たちはそんなこと、しやしないでしょうけどね。そんなに簡単じゃないわよね。私の考えでは、私たちの世界は、いろんな意味での機会が男性の利益に支配されない時代とは、ほど遠い状況にあると思うわ――男たちの偏見や、母親が息子たちに植えつける期待とかね。男女差別を「男のせい」と言うことや、フェミニズムを「女のこと」と呼ぶことは、ばかげてるわよ、物事はそんなに簡単じゃないのよ。男女の機会均等は「社会的な問題」であって、全ての人が共有している社会の発展のプロセスなのよ。残念ながら、私たちはまだそこまで到達していないわ。

Marina Novikova: Firebirdには女性はAnnとあなたと二人だけですか?もし、そうならそれはどうして?ひょっとして、男性たちはとても自分勝手なんじゃない? (^^;;

Helen Borrie: Annについて話すことは出来ないわね、でも私は何でも男性のエゴで行われているとは考えないわ。パソコンショップが女性に占領されているような状況だったら、そう思うでしょうけど。オーストラリアでは、ITの主流は女性がキャリアを積むにはいいところではないから、どんどんいなくなってしまうわ。女性達はソフトウェア関係の職業に、Annや私がしてきたほど、長くはとどまらない傾向があるのよ。私は、Firebirdのポジションが正しく全体の状況を反映しているんじゃないかと思っているのよ、パソコンショップに女性が押し合いへし合いしている状況というのはないわけだけど、それってたとえば「オープンソースのソフトウェアを使うべきか?」というような重要な決定に参加することとかとは別の話よね。オープンソースが云々というのは、誰の生活にでも関わることじゃないのよ。でもね、だんだんと進歩していることは間違いないわ。オーストラリアのLinux界は最近、女性を代表者として選んだのですからね。

Marina Novikova: あなたはオーストラリアに住んでいるわけなんだけど、他人から、米国に住んでいると思われたことはありませんか?

Helen Borrie: いいえ、それはないわね。でも、私の国(ニュージーランド)がオーストラリアに含まれると思っているアメリカ人にはたくさん会ったわよ。ニュージーランドは3つの島からなっていて、ノース・アイランド、サウス・アイランド、それからスチュワート・アイランドね。私たちニュージーランド人は、オーストラリア人にあんたのところは「ウエスト・アイランド」だといって嫌がらせするのよ。オーストラリア人は、ニュージーランド人に「成功したニュージーランド人が、もしオーストラリアに住んでいるんなら、そいつはオーストラリア人なんだ」と言ってイライラさせるのよ。

Marina Novikova: 学歴をお聞きしてもよろしいですか?また、どうしてハイテク分野で働いていこうと思ったのですか?

Helen Borrie: 私が大学に入ったのは17歳の時で、高校をストレートで卒業してからね。大学では学生新聞(ジャーナリズムね)に参加して、映画を見たり賭け事(500と呼ばれる当時はやっていたカードゲームの達人だったのよ)をしたりしていたわね。勉強していたのは化学、英語、フランス語、ドイツ語、哲学だったんだけど、新聞記者の見習いとして働くために、2年でドロップアウトしたのよ。イギリスで編集見習いとして、新聞記者をやっていた時に、あっという間に妊娠してしまったのよ。何年間か家でお母さんをやってたわ。夫は海軍にいたので、あちこち転々としながら3人の子供をつくったから、みんな変わった発音が身についてしまったわ。一番下の子がまだ赤ん坊だったときに、ニュージーランドに戻ったのよ。それから大学に戻って法律を勉強しようと決めたんだけど、言語学が面白かったので、結局その分野で代わりに学位を取ることにしたの。私は特に、大海の中を航海するための科学や、密かに世代から世代に受け継がれたもの、神聖な聖職者や「tohunga 」による口承伝承にとても興味があったのよ。それが私の修士号論文のテーマで、余裕が出来たらまた続けたいと思っているわ。ITの道に入ったのは変わったきっかけなのよ。私は障害児の親をサポートするグループの活動家だったのね。ちょうど、1979年に「障害児年」ということで、24時間テレビの企画があって、私たちはコンピュータを買うための助成を申し込んだの。そうしたらびっくりしたことに、助成を受けることができて、中古のAppleⅡを買うことができたのよ。問題は、誰もプログラムを書くことが出来なかったので、しょうがないから自分でApplesoft BasicとTurbo Pascalを勉強してソフトを書き始めたの。私が大学を卒業したときに、IBMの販売店でマニュアルを書くという仕事をしたんだけど、文書に強いということで仕事になったわね。それで、私は子供たちのために親御さんたちが使うためのソフトウェアを書いたってわけよ。そのすぐ後で、コード書きに手を染めて、その時以来データベース・アプリケーションを商売にしてるってことなの。

Marina Novikova: どうして、Firebirdチームで働くことになったんですか?

Helen Borrie: ボーランドがソースコードを公開して、その非公開な「オープンソースプロジェクト」をセットアップした日に、Mark O’Donohueが連絡を取ってきたのよ、彼の名前はInterBaseコミュニティのメーリングリストで知っていたわ。自分たちが何をなすべきかを電話で延々と議論したのよ、その結果が「FirebirdAshes」プロジェクトだったってわけね。(その後、FirebirdAshesはなくなって、Firebirdの下で作業は続けられているわね)でも、私が関わるようになったのは、1999年の12月までさかのぼることになるわ、その時ボーランドがInterBase6を抹殺するというニュースが最初に知られるようになって、IB部門の経営陣が辞職をしたのよ。私の雇い主だったHREF Toolsはその時、いくらかのWebスペースをくれて、私はInterBaseを救うためにWebサイトを運営しはじめたわ。1999年から2000年にかけての休みの間に、何十人もの人たちとメールをやりとりしたわ、かつてのmers.comのメーリングリストも使ったし、個人的なやりとりも多かったわね。Dalton Calfordと私は「Save InterBase」キャンペーンをメーリングリストとしてはじめたわ。ちょうどそのころ、Jason WhartonととってもたくさんのIBOのユーザーも彼らのキャンペーンをはじめたわ。数日後に、私たちはこの二つのグループをIBDIの旗の下にまとめることにしたわ。小さな、個人的なグループはInpriseからInterBase部門を買収するために、協力して事業体を作り上げようと真剣に追求していたわね。そんなことで、7ヶ月にわたる熱気にあふれた活動が始まった(私と、その他大勢の仲間達によって)んだけれど、それはDale Fullerの架空の新会社設立話に対してのものだったわ。私にとって、他のことを何かするような余裕はまったくなかったわ、仕事でさえもね!そんなわけで、私は2000年を「生命の危機の年」と呼ぶことにしたのよ。うーん、でも、結局まだ終わってないのよねぇ。

Marina Novikova: 力になってあげたいなと一番思う人は誰でしょうか?

Helen Borrie: 私たちは、いろんな方法でお互いに助け合っているわよ。Firebirdがプロジェクトとして成立したのは、私たちは、店ざらしにされようとしていた優れたデータベースをなんとかして救おうという人々の大きなグループになったので、米国の株式市場文化に根ざした陰謀や謀略に、意志の力で打ち勝ったのよ。その心臓部が逆境に襲われたとき、InterBase 4、及び、5のユーザーが基盤となって、ものすごい団結力が生み出されたわ。私たちは、その災難に対して情熱をもって、それからそうした情熱にはつきものなんだけど、何かに取り憑かれたようになってそれを乗り越えたのよ。そのなかからたった一人を選び出すことは出来ないし、「彼を、あるいは、彼女を最も助けた」と言うことも出来ないわね、それはその時のみんなに共通の情熱だったし、それがみんなを支えていたのよ。私の個人的見地から、私は、Jason Wharton がいなかったらもたなかっただろうなと思うわね。彼の IBO 製品開発をスタッフとしてサポートするために、ジェイソンは、この3年間の間パートタイムで私を雇用してくれたわ。それに加えて、IBOのオープンな IB/Firebird コミュニティは、ますます盛んになっていくだろうなと思う。ここに至るまで、彼はコミュニティ(Firebirdプロジェクトそのものとは区別して)に影ながらの支援を提供してきたわ、ある程度のインフラストラクチャを継続して維持できるようにね。彼は、InterBase2000サイト(長い間サポート・コミュニティの根拠地だった)のホスティングの支払いをしてきたのよ。私は他の誰よりもよく知っているんだけど、Jasonはどんなにかつらい時期を通じていろんなことを飲み込んで抱え込んできたことでしょう。一度ならず、彼の助けがなかったら、私はきっとあきらめて逃げ出していたに違いないわ。  オープンソースコミュニティは、お互いにみんなで助け合っているので、うまく機能してるわね。私はFirebird の前にも、他のオープンソースプロジェクトに取り組んでたわ。いつでもそうなんだけど、誰かが何かの仕事を仕上げなければならないときには、誰か手伝ってくれる人がいないかと声をかけるのよ。うまく機能していないなと思うこともあるんだけど、何か手伝いたいなって思う人がそうやって声をかけられたときに、その人に合った仕事がもらえないことがあるってことね。ボランティアしようと思っている人は、実際に何らかの仕事をしようと思っているし、たいていの場合、ほとんど何でもする準備ができているのよ、あとはただ誰かがこれをやってねって声をかけるだけなんだけどね。  うれしいことも、悲しいこともあった特別な出来事、そうIBDHのことなんだけど、これは私が2000-2001年に準備した大きな出版計画だったの。私たちはOpen Documentプロジェクトにしようと思ってたわ。見渡す限り適当なライセンスがなかったから、自分でそれを書き上げたのよ。計画では、私は(代作する)寄稿者の全員のために監修をして、一度に一セクションを書いて、お願いをした全部の素材が揃ったの。約13の言語で翻訳チームを編成したんだけど、考え方としては、それぞれのセクションが最終の編集ポイントに達すると、それを担当する翻訳者がとりかかって、それを翻訳していくという手順だったの。最後には、私たちは約1600ページも及ぶ書籍を仕上げて、いくつもの言語で出版する準備が整ったのよ。  私たちは、翻訳者のいくらか大きいチーム、技術的編集者のチーム、それから貢献してくれる執筆者の大きなリストを作り上げたの。そこで問題が発覚したんだけど、オープン・ドキュメントの書籍を出版してくれる出版社は一つもなかったのよ。これは、とっても大きなプロジェクトだったので、 私が必要とする12-15ヶ月の収入なしではやりきれるものではなかったんで、だから出版社との契約は不可欠だったわ。  私は、最終的には2001 年の終わり頃に IBDH ( 原題は「InterBase Developers’ Handbook」) をあきらめたのよ。それは、dot.comのブームとともに死んでしまったのよ。とっても気落ちしてしまったわ。

Marina Novikova: FirebirdSQL Foundationにとって何が最も困難ですか?

Helen Borrie:  実際のところ、タイミングが一番厳しかったわね。Markと私は、ここ2年間にわたりしょっちゅう電話で話をしてきてたんだけど、それっていうのは、私たちがいくつかのとても緊急なFirebirdに関する仕事に資金を拠出するための方法についての議論だったの。昨年の8月のことなんだけど、私たちはいつまでも話し合っているだけじゃなくて、実際の行動に移す必要があるって、本当に突然決めたのよ。私たちの二人とも自分たちの仕事に目を向けざるを得なかったので、自分たちがおそらくこの出発にあたって火付け役になるにしても、これより悪い時期はなかったと言うことは出来るでしょうね。でも、どうでもいいことだけど、ビッグバンによって宇宙が作り上げられた事を考えると、まあ先例はあったわけよ。私たちは、FirebirdSQL Foundationをクリスマス以前に立ち上げようと思ったんだけど、ことを正しく運ぶ必要があったわ。その年の終わりの四半期はしっちゃかめっちゃかになっていて、どちらにしても、私のお客さんたちは長い夏休みでいなくなってしまう前に仕事を終わらせてほしいと思っていたの。睡眠不足にさいなまれ、コーヒーとシリアルばっかりで食いつないで、家中のぶっ壊れたコンピュータ部品を踏み越えて、何百もの電子メールを扱って、FFの規約を6回も書き直して、まーったくナンセンスな話よね(そうよ、私たちは本当に6つのバージョンの規約を検討して、ようやっと満足のいくものになったのよ)。Steering Groupとして活動している間、私には重大な発表に関する〆切があったし、注文が多い割に経営が苦しいお客さんが11月に破産しちゃって、1ヶ月分の収入がふいになって、おまけに12月19日には、開けてあるUDPポート経由でトロイの木馬ウィルスが侵入して、私のネットワークを大破させたちゃったのよ 。それでも、はっきりしていたことは、FFは出来るべくして出来たのよ、どうしてかっていうと、私たちはクリスマス前にそれをなんとか立ち上げたんだけど、本当に驚くほどの反応があったんですからね。

Marina Novikova: あなたはドキュメントを書いていたわけだけれど、FFを組織化して、 sourceforge 上にプロジェクトを登録して、その他のことがあって、つまりこういうことなんだけど、まったく不向きな仕事をしているんじゃないかしら。どうして、そんなにFirebirdに入れ込むんですか?

Helen Borrie: FFは出来るべくして出来たのよ。私は、アイデアに基づいてことを運びがちなんだけど、それだけじゃなくて、しなくちゃならないことをするんであれば気にしないのよ。なぜかって? おそらく、それは私のカルヴァン派の教育まで掘り下げないとわからないでしょうね――あなたがこの地上の生において十分に犠牲を払うならば、あなたは天国の雲に座る権利を得る、ということよ。Firebirdに対して夢中になっていることについては――誰が本当にわかっているかしら? 私自身もわからないわ。時折、その質問に答えられないってことにもどかしい思いをしているんだけど、特にその相手が、銀行の支店長さんや、定年退職した販売員さんや、私の兄のような人々だったりするとね。でもね、まあなんとかなってるわ。

Marina Novikova: ドキュメントを書くのはとても大変ですよね、内部で何が起きているのかを理解するだけではなく、それを他人に説明する技術も必要になりますね。何が役に立っていますか?

Helen Borrie: 私はいつでも文筆家で、そして、いつでもテッキーなのよ。人に教えることは血統ね(母親は学校の教師で、父親は航空機の電子機器のインストラクターだったわ)。必然だったと思うのよ、モノを書くことにいくらかの時間を費やしてきたってことはね。

Marina Novikova: Firebirdのコードを書いたり、アーキテクトになりたいんでしょうか?

Helen Borrie: コードを書くのは正解ね、アーキテクトは間違いよ。私にそれは出来ないわ。私は1996年からほとんど純粋にDelphiでプログラミングをしてきて、その前は、ObjectPalだったわ。オブジェクト指向の言語が好きで、構造化言語にそれ以上の興味を感じないのよ。C++でコードを書くことに参加しようとして頑張ってはみたんだけど。「待ってはくれない」他のことをするのにとっても忙しくって、それを始めるための環境をセットアップすることすらおぼつかなかったのよね。それに加えて、私がCをやっていたときからずいぶんと時間が経ってしまっていたし、C++には本当にちょっと手を出しただけだったの。そうなるといいなと思うのは、もっとたくさん時間が経ってしまう前に、私が書きたいと思うコードのカケラを見つけて、雪だるまを作るときみたいに、私の雪玉を転がしはじめたいってことね。

Marina Novikova: お金がたっぷりとあったとしたら、手始めに何に使いたいと思いますか?

Helen Borrie: まず最初に、12ヶ月分の収入を稼ぐ必要をなくしたいわね、そうするとFirebirdの本を自分で書いて出版できるじゃない。次に、熱いシャワーと洗濯機が付いているボートを買って、近くにいい停泊地をもちたいわ。それから、ボートの所有権だけじゃなくて、船体を削って色を塗り替えたりするための維持管理契約をしなくちゃね。

Marina Novikova: 5月にドイツで行われるFirebirdのカンファレンスに何を期待していますか?

Helen Borrie: 異なるアプリケーションインタフェースの開発者がアイデアを交換して――広げるための討論の場になることを見たいわね。、実際、こうした人たちみんな(私がここ3年間やってきたことの、とっても多くの味方たちね)に会いたいと思っているわ。私たちはみんな少しクレイジーだから、みんなでゲラゲラ笑いたいわね。それだけじゃなくて――思いがけないことなんだけど、カンファレンスがうまくいくことで、味方の和がさらに強まると思うのよ。Firebirdカンファレンスがそうなるといいなぁ、と思ってるわ。

Marina Novikova: 他にどんなイベントがあるんでしょうか?

Helen Borrie: うーん、最初の英語によるFirebirdの書籍以外で? Yaffilに分かれていった仲間が、Firebirdプロジェクトの傘の下に再結集するところを見たいわね。私にとって、Yaffilが分かれていったことについて意義を感じたことはないわ。InterBaseとFirebirdの再統一が可能かどうかなんてことについて考えるのは、今となってはもう遅すぎると思っているんだけど、それはもちろん、Borlandがオープンソースについてまったく商業的価値がないと判断したからよね。思い返せば、それが私の尋常でない情熱の証なんだと思うんだけど、InterBaseとFirebirdの再統一が起こってほしいなと思って、個人的にはかなりのエネルギーを費やしたのよ。でも反対に、今年はきっとMicrosoftがBorlandに残されたもの(訳注:InterBase)を奪い取るのを目にすることになるでしょうね、そのために彼らはDale Fullerに2000年からの3年契約をさせたわけだけど、そのことが(Microsoftの株主にとって)正しかったことが示されるでしょうね。他のイベントはどうかしらね? もちろん、つまらないことのように思われかもしれないけど、でも、私たちはFirebird 1.5のリリースに注力していくわよ、それからFirebird 2とそこに至るマイルストーンにね。破滅的な出来事を探し回るよりも、大切なことだと思うわよ。

Marina Novikova: Firebirdを絶対に成功させるためには、何が必要ですか?

Helen Borrie: どんな売上ももたらさないオープンソースのデータベースプロジェクトにおいて、「成功」の基準を見つけることはとても難しいわね。ユーザーのコミュニティが活発で、Firebirdに接続するプロダクトがいつもたくさん開発中だとしたら、Firebirdの成功は証明されたことになるし、もっともっと大きくなるんじゃないかしら。絶対的な基準はどんな形であれ、ないんじゃないかしら。認知度はとても大事で、それが欠けているとしたら問題よ。ユーザーにとって役に立つ書籍も重要だけど、でも、英語ではいまのところ皆無ね。書店で、MySQLやPostgreSQLの本を山のように見かけるけど、どちらもそれぞれの分野で役に立つと思うわよ、でも応用範囲はFirebirdには及ばないわね。オープンソースのデータベース業界は、なにが足りないのかをわかってないのよ。卵が先か鶏が先かということで、Firebirdは英語圏の開発者にはまだあまり知られていないわね、それでも、アメリカのメジャーな出版社が4社もFirebirdの書籍を書かないかって言ってきているわ、誰もそのことにリスクを感じていないわ。はっきりしていることは、最低ラインとして最初の年に月間500冊を保証することね。

Marina Novikova: InterBase Worldのコミュニティに対して、何かこうしてほしいと思うことはありますか?

Helen Borrie: この福音を広めてね、それから、Firebirdを楽しみつづけてほしいわね。

Interbase With a Small ‘b’

Interbase With a Small ‘b’

Harrisonのはるかな回想

 

 InterBaseは、ひどいネットワークに接続されたすばらしく素敵なワークステーションという、Appolo社の事業の一つとして開始された。最初のリリースは、Apollo、Sun、HP/UX、VAX/VMS、Ultrixでサポートされた。他にも私の手を離れていくつかのOSでサポートされていた。そう、「InterBaseは元々からWindows/DOSのシステムだったんじゃないんですか?」という問いに対する答えは「No」なのだ。

 

 Interbase(小文字の’b’が入っている社名としての)はマサチューセッツ州ゴートンにある我が家の使われていなかった寝室で、ゴートン・データベース・システム社としてはじめられた。’gds’という略号とgで始まるユーティリティ(gfix、gpre、gbak)類はすべて、この頃からのものだ。3人の創立者は、それまでDECのRdbプロジェクトに参加していた。そのメンバーは当時も今も、Jim Starkey(ソフトウェアの設計及びコードのほとんどを書いた)とDon Depalma(ドキュメンテーション他を担当)、そして私、Ann Harrisonだ。私は他所で働いて給料を稼いで、なんとか皆が飢え死にしないようにしていた。1984年当時のことだ。

 

 システムのリレーションとAPIはDECのリレーショナル・アーキテクチャーに基づいていた。それは、リレーショナル・データベースの標準としてプログラムからプログラムへと受け継がれている優れた手法だ。それは拡張性があり、SQLとQUEL、DEC風味のリレーショナル言語をサポートしていた。その設計はマルチ・データベース・プログラムを大変シンプルにしていて、分散処理のための良い手法を提供していた。これだけでは、言葉が足りないかもしれない。言い換えれば、どちらにしろ、システムにおけるリレーションはRDB$XXXであるというわけだ。

 

 1986年に、我々は(今では創立者は7名になっていた)アシュトン・テイト社に株式を売却した。アシュトン・テイト社は大企業だったので、我々は信用と資金を手に入れた。そのため、我々は「あんた誰?」という疑問と、さらに人を雇うだけの収益を生み出せるようにするためのマーケティングの人材を雇うに十分な金が無いという2つの障害を乗り越えることが出来た。

 

 しかし悲しいかな、アシュトン・テイト社はInterBaseを本当に愛していたので、より大きくなるデータベース企業に投資することにし、サイベース社にも投資することに決めたのだった。(最悪の日)その時点で、彼らが我々に望んでいることはよりグレートになることだった。dBaseやSybaseのように。そしてすべてにおいてそれらより明らかに速く動作することを求めたのだ。エンジニアリング・リソースが枯渇していると言及することが必要だった。

 

 アシュトン・テイト社の見事な経営は、彼等を死のスパイラルに陥れた。その頃、彼らとの契約において、アシュトン・テイト社は丸ごと全部を買い取って、買値で売り戻さなくてはならないと言う両方を定めた条項が削除されたのだ。彼等は買収をしたが、Jimは社長として最後に自分自身を解雇してしまった。その時、辞めたのは彼一人だった(我々は約65人になっていたが)。

 

 それからほんの少し後(1992年)になって、ボーランド社がアシュトン・テイト社を買収した。ボーランド社は自家製の技術が必要だと決定したので、社員の約1/3-ほとんどの上級技術者を含んでいた-をスコット・バレーに異動した。サポート関連の上級社員のうち何人かは西部へと異動させられた、そしてほとんどの地方販売事務所はそのままにしておかれた。

 

 ボーランド社が得たものは、大変洗練されたデータベース-ほとんどのUnixを含む、1ダースものプラットフォーム上で稼動する-であった。PCシステムでサポートされているのは、SCO/UnixとOS/2だけであった(アシュトン・テイト社が実際に見事な経営を行ったと私は述べたかな?)

 

 国際化はすこぶる原始的なものだった-8ビットのキャラクタを格納した場合、通常の場合それを2バイトへ拡張することは出来なかった。システムはストアド・プロシージャ-をサポートしていなかった-我々は埋め込みSQLやダイナミックSQLの方がストアド・プロシージャーよりも速いと評価していたし、そう感じてもいたためだった-プリ・コンパイルによって増加する時間と最適化によって増加する時間は、最適化とコンパイルのどちらが時代の流れにふさわしいのかを見極めるために時間を費やすほどのものではなかった。

 

 ボーランド社で、ストアド・プロシージャ-に急に光があたったのは速度の点からではなく、主にカプセル化のためであった。私がいいたいことは、私が会社に残ろうと決めた後で多くの良い出来事があったということだ。

 


旧Firebird日本ユーザー会サイトから移行した過去記事です。内容は当時の記録です。記事内のリンクなどはリンク切れなどにご注意ください。

過去記事掲載時URL(閉鎖予定):http://tech.firebird.gr.jp/firebird/index.php?firebird_xsite=127

As Jim Starkey remembers it

As Jim Starkey remembers it

-Jim Starkeyによる回想-

私は1984年のレイバー・デイ(訳注:9月の第一月曜日)の直後の週末にその会社を設立した。私はほぼ10年間DECに在籍していて、よくしてもらっていたが、私の方はそれほど良くは思っていなかった。私は、自分が不幸の星の下に生まれたんだったら、他の誰かのせいじゃあなく、自分自身の失敗によって苦労する方がましだと思っていた[1]。

私達の会社は当初、ちょうど私がマサチューセッツ州ゴートンに住んでいたので、ゴートン・データベース・システムと名乗った。ユビキタスな「gds」というのは、そこからきているわけだ。私達がその名前で会社を始めたのは別に何かの意図があったというわけじゃあない。他に三つほどカッコいい名前を思いついたんだが、商標検索で引っかかってしまったし、調査会社にそれ以上代金を支払うのが嫌になってしまったので、そんな名前になったというわけだ。

私は一人ぼっちで仕事を始めたが、すぐにDon DePalmaが合流してきた。それからシャム猫が2匹、カサンドラとヘクターもやってきた。DonはずっとDECでいっしょにやってきたダチだったが、あろうことか猫が大っ嫌いだった。私はコードを書きつづけ、Donはドキュメントを書いた。ヤツは猫をなんとかバルコニーへ追い出そうとしていたが、そいつは無駄に終わった。

私達の最初の大きな契約がアポロ社との間で結ばれた。当時アポロ社は独自ブランドの製品をほしがっていて、それが徐々に我々の耳に入るようになり、そしてデカイ小切手を送ってよこした。

アポロ社は、私が裏切らないように、カミさん(Ann Harrison)を人質にとった。私は、作業開始後約一年後に最初のベータバージョン(まあまあの出来。Virginiaと呼ばれる)を引き渡した。

社外ベータバージョンがうまくいった後で、アポロ社は内紛に喘いでいた。組織は再編され、新しい社長が決まり、事業計画は一新された。そして結局、独自ブランドのソフトウエア事業からは手を引いてしまった。我々は指を加えて見ているしかなかった。

Annはアポロ社のDave Rootというヤツと仕事をしていた。内紛の後で、彼は自分が窓際に追いやられているのを知って、ゴートン・データベース・システムへと亡命してきた。アポロ社の連中が善良な人々になったと言うわけじゃあなかったが、とにかく連中はAnnを人質の身分から第三者を介して解放してきた。Annもすぐに合流したのは言うまでも無い。

Don、Ann、Dave、猫のヘクターとカサンドラ、それに私はリーディ・メドウ・リサーチ・センターとして知られるようになるモノを作りあげた[2]。我々は家を追い出されてしまったので、マサチューセッツ州ティンズボローのピザ屋の上に事務所を借りて移転した。ピザはマズかったが、とにかく我々は家を出たわけだ。

我々は次の手を打った。別のDECのダチをだまくらかして合流させた。キャサリン・サリバンはサポートの親玉として、ラリー・ワインシュザック(ラリー・ウィグル)を営業部長として、さらにマギー・ヒンクルをその他すべてのことにあたらせた。我々は7名になった。

次に、社名を変更することになった。我々は、自分達のいいと思う社名をリストアップした、aから一つ、bから一つ、そしてInterBaseに行き着いた。DonとAnnは私の反対を押し切って、社名はInterbaseで製品はInterBaseであるというあほな図式を作り上げた。ようやく我々は、エスター・ダイソン社というあてにならない投資家を得ることになった。

仲良く出来たと言うことはアドバンテージだったが、たいして金にはならなかった。我々はさらにパートナーとなってくれる投資家を探し回った。我々はコグノス社を見つけ、同時期にアシュトン・テイト社が我々を見つけた。カリフォルニアの×××[3]がまぶしかったが、我々はアシュトン・テイトとやっていくことにした。我々はすぐにも審査を通ることを期待していた。我々は、かの奇妙な土地、カリフォルニアで、この審査を通るのに2年もかかるとは知る由も無かった。

アシュトン・テイト社は1991年に、企業買収の権利を行使した。アシュトン・テイトはInterbase社をそのままそこに残して、新しい社長を据えることを計画した。(私はアシュトン・テイト社の社長との哲学上の相違によって、舞台を降りた。あるいは、家族と一緒に過ごす時間を増やしたかったからなのか?あるいは、別のことに興味が移ったからなのか?)いずれの場合にしろ、私のとった最後の事務手続きは、離脱同意書の両面にサインをすることだった。

この買収のちょっと後に、ボーランド社がアシュトン・テイト社を、つまりそれゆえInterbaseをも買収した。しかし、そんなことではもう何も変わらなかった。


[1] 回りくどい言い回しなんですが、独立志向が強かったと言う意味でしょう。

[2] 自宅がめちゃくちゃになったので追い出されたと見るべきか?

[3] 原文では***です。本当に伏字なんです。


旧Firebird日本ユーザー会サイトから移行した過去記事です。内容は当時の記録です。記事内のリンクなどはリンク切れなどにご注意ください。

過去記事掲載時URL(閉鎖予定):http://tech.firebird.gr.jp/firebird/index.php?firebird_xsite=126

Interview with Ivan Prenosil on InterBase World

Interview with Ivan Prenosil
2003 / 7 / 25
2004 / 9 / 1 翻訳版 DelphiマガジンVol.36 掲載
Written by Marina Novikova
on InterBase World (URL http://www.interbase-world.com/)
翻訳:林 務(株式会社アペックス)

 本インタビューは、InterBase World のWebサイトでMarina Novikova氏によって公開されたものを、Marina氏とIvan氏の許可によって翻訳したものです。
 Ivan Prenosil氏は、2000年からInterBase/Firebirdに関するWebサイトを立ち上げられて、コミュニティの活動を牽引されています。このサイトは、木村明治氏によって日本語化されて公開されていますので、ご存じ方もいらっしゃるかと思います(http://www.geocities.jp/kimura804/rdb/)。
 Marina Novikova氏はロシアの企業で英文翻訳とテクニカル・ライターをするかたわら、InterBase Worldの管理者をなさっています。Marina氏はInterBase Worldで、毎週のようにインタビューやレビューを更新されているのですが、このインタビューは、技術的なことやビジネスに関することだけでなく、各ゲ ストの人となりがよく現れていて、私はいつも楽しみにしています。


「Ivanは、長年にわたってInterBaseの開発に携わってきた人物で、彼の意見はいつもよく考えられているものだ」(www.ibphoenix.com)。
彼のサイト http://www.volny.cz/iprenosil/interbase/ には、素人であろうと玄人であろうと役に立つ技術情報が満載です。しかし、彼がオルガンを弾いたり、Delphiを訪れることを夢見ているとは誰が知っていたでしょうか?


Marina Novikova: ご自身のことについてお聞きします。趣味は何でしょうか、音楽はどのようなものをお聞きになりますか、また、好きな本(作家)や映画はどのようなものですか?

Ivan Prenosil: いまのところ、私の趣味は写真を撮ることです(私の写真を送れないのはどうしてかというと、いつも私はカメラの背後にいるからなのです)。また、音楽はとても好きです。よく聞いているのはクラシック(Rackmaninov、Saint-Saens、Madelssohn、Copland、Chopin、…)ですが、正反対にGenesis、Santana、Pink Floydやジャズ(Petrucciani、Corea)もよく聞きます、昨年はここプラハで日本の「太鼓ショー」があったんですよ。
それから、私はピアノとオルガンを弾いていました(何度かバロック時代の古楽器に触れる興味深い機会もありました)、ここ数年はやっていないのですが、というのも私が仕事から帰ってくると隣家の人々がもう寝ている時間になっているからなのです。その自分の唯一の名残は、私がPCのキーボード上で全ての指を使っているということだけかもしれません。
映画は、あまり見に行きません、なぜかというと私の好きな映画はちょっぴり時代遅れのモノだからなのです。2001年宇宙の旅、Chicken Run、 La vita e bella、 Laurel and Hardy、その他歴史物で…いい映画がいくつかあります、like Kundun、 Zorba the Greek、Himalaya-Caravanはサウンドトラックも素晴らしかった。
本については、読むのがとても遅いので、また時間も全然無いので、実際に読んできたものと、私が読みたいものには大きなギャップがあるのです。例えば、SF(Clarke)を読みましたし、最近はよりドキュメンタリーな本(歴史や哲学に関するものなど)をよく読んでいます。しかし、一日中コンピュータ・スクリーンやマニュアルの上で過ごすようになってからは、別の活動をしたくなるようになっています。
その他の趣味では、天文学ですね。不幸なことに、ここ数年間の天候は私にとっては逆風でした。長い間メジャーな彗星雨をちっとも見ることが出来なくて、1999年の皆既日食の時も曇っていたことは言わずも知れたことです。(私はスポーツマンではないのですが、スキーは好きです(ダウンヒルもクロカンもね))

Marina Novikova: ビールは飲まれますか?もしそうなら、どんなものがお好きですか?

Ivan Prenosil: いや、飲みません。

Marina Novikova: いままでにもらった中で、もっともおかしな(あるいは奇妙な)プレゼントは何でしょうか?

Ivan Prenosil: へんてこなプレゼントというのは全く無かったですね…
子供が生まれる前に、私の妻が息子を欲しがっていて、自然と私たちはそうなるものと思っていたのですが、実際には娘が生まれて(マーフィーの法則ですね)、つまりアダムが生まれた時 、いい意味で驚かされることになりました。

Marina Novikova: 人生の中でもっともエキサイティングな日を覚えていらっしゃいますか、あるいは、人生の中で最も素晴らしい瞬間など。

Ivan Prenosil: うーん、何も思いつかないなぁ。たぶん、プラハの古い街並みに住んでいるので、築後400年くらい経っているんです、ミステリアスなロフトがあって、地下墓地のような貯蔵庫があって、日時計もあり、3階にある私の部屋の窓から直接手を伸ばして梨をもぎ取ることもできるんですが、考古学者が最近になって発見したところによると、その梨の木というのは実はかつての墓場の上に生えているとか(学者さんたちは沢山の人骨を発掘していました)、プラハ城まで歩いて10分くらいなんですが、プラハ城にはゴシック様式のカテドラルやロマネスク様式のバシリカ聖堂があって、また15分くらい歩くと天文台(いくつかの望遠鏡とコロナグラフがある)があるんです。

Marina Novikova: どんなことがお嫌いですか?

Ivan Prenosil: 書類を埋めることと、列に並ぶこと。

Marina Novikova: 周囲の人々のどんな行動があなたをイライラさせますか?

Ivan Prenosil: 傲慢さと不寛容ですね。

Marina Novikova: いま自由になる時間あるとしたら、どうお使いになりますか?

Ivan Prenosil: 自由にならない時間に終わらせないとならないことを、そのまたおまけに終わらせるために使わないとならないでしょうね。

Marina Novikova: 何か大きな夢というのはおありですか?

Ivan Prenosil: Martian と握手をしたいですね。

Marina Novikova: いままでにどこか他国へ行かれたことはありますか?どこが一番気に入りましたか?

Ivan Prenosil: そのリストはとても長くなってしまいますね、もっともヨーロッパの近隣に限られていますが。オーストリア、英国、フランス、ドイツ、ギリシャ、イタリア、ノルウェイ、ポーランド、スペイン、スイス、ユーゴスラヴィア/クロアチア、スロヴェキア、ハンガリー、ブルガリア。
どの国も、それぞれに興味深いところがありますね。私は好きで、しょっちゅうギリシャへ行っています(クレテのKnossosパレス、テラのvolcano島、Corinth運河、アテネ、オリンピア、Samos)。でも、まだDelphi神殿に行ったことが無いんですよ。(^^;

Marina Novikova: 突然宝くじに当たったら、何を買いますか?

Ivan Prenosil: さっきのリストに載っていないいくつかの国々を訪れたいですね(アイスランド、チリ、ニュージーランド、東南アジア)

Marina Novikova: 学歴をお聞きしてもよろしいですか、また、ハイテク領域で働こうとお決めになったのはどうしてですか?

Ivan Prenosil: プラハのチェコ工科大学で、電気工学を学んで、国家試験に受かって、「Ing」の資格を授与されました(なんと訳したら良いかちょっとわかりません)。プログラミングと電気工学はいつも私の趣味でもありました(思うに13歳の頃から)、ですので道を決めることはたやすいことでした。

Marina Novikova: いつからWebサイトを始められたのでしょうか?

Ivan Prenosil: 1997年からInterBaseのメーリングリストのいくつかに参加するようになったので、私のメーラーのSentフォルダはどんどん大きくなりました。私はそれらの情報がより有益な貢献に役立つのではないかと考えたので、比較的不安定なニュースグループではない別のどこかで公開しようと思いました。そうしたら、Claudio Valderrama がちょっとだけ背中を押してくれたというわけです、2000年の中頃でしたね。

Marina Novikova: あなたのWebサイトは、多くの有益なアーティクルを持っていますし、人々はあなたをInterBaseのただ者ではないスペシャリストだと知っています。InterBaseに関する書籍を書こうと思ったことはありませんか。

Ivan Prenosil: もちろんです、十分アイデアと素材を持っていると思っています。しかし、それを書籍に「構築」するためには、何ヶ月もの労働をしなくてはなりませんし、最初に出版社を見つけて、あるいはスポンサーか、宝くじを当てないと…

Marina Novikova: どうして、InterBaseを使うようになったのでしょうか?また、他のデータベース・サーバもお使いになっていますか。

Ivan Prenosil: 1990年に、鉄のカーテンが落とされたすぐ後のことです、休暇にノルウェイへ行ったのですが、そこでSQLに関する書籍を買いました、それは素晴らしいアイデアであることがわかりました、私の一ヶ月の収入の半分に近いコストがかかると言うことを除いてね。
5年後になって、データベースシステムを選定しなくてはならなくなって、InterBaseはベスト・チョイスだったのです(少なくとも私にはね。会社の中にはAccessにこだわっている人間が一人いましたよ)。我々はデータベースにスケーラビリティを求めていました(この点でSybaseは除外されました)、WindowsとUnix系のシステムの両方で稼働することも条件でした(この点でMS-SQLとInfomixが除外されました)、そして導入コストが低いことが必要でした(この点でOracleが除外されました)、信頼性も当然必要です(この点でおもちゃ系のAccessやdBaseが除外されました)、イベントが使えて、blobをうまく使うことが出来、自国語をサポートし、オンライン・バックアップが可能で、並行トランザクションが出来る、…InterBaseの他になにか思い浮かべることが可能ですか?InterBaseの開発者(特にJim Starkey)とメーリングリスト上で直接話すことが出来るというユニークな可能性も説得力を持ちました。そして、こうした合理的な理由以外にも、私は「エレガントな発明」が好きなので、つまり、航空機やカテドラル、マルチ・ジェネレーション・アーキテクチャ、宇宙(の構造)、物質、自然等…
私は他のリレーショナル・データベースは使いません(過去にはOracleやInfomix、dBaseも触りましたけどね)

Marina Novikova: チェコ共和国でのInterBase/Firebirdの人気について、何かお話し頂けませんか。こうしたものを証明するような投票結果などありませんか。

Ivan Prenosil: チェコでは多くの人々がInterBase/Firebirdを使っていると確信できます、しかし確たる証拠を持っているかというと、持ってないですね。

Marina Novikova: ポスト-リレーショナル・データベースやオブジェクト・RDBMSに対して、どのようにお考えですか、例えばCacheについて?これらは、すぐにも市場のRDBMSを置き換えてしまうでしょうか?

Ivan Prenosil: 最初に言っておくと、私のRDBMSに関する主な関心はフル・テキスト・データベースにあります。(まだ)私はオブジェクト指向DBMSの必要性を感じたことはありません。(しかしすぐに変わるかも知れません、いま新しい仕事を探しているのでね)もちろん、データベース・テクノロジの新しいトレンドに関しては学ぼうとしていますが、そういったものに対する選択権を社内で持っていないのです。ポスト-リレーショナルDBMSについての一般的な書物(少なくとも私が読んだもの)は、一般的なことしか書いてありません、特定の製品に関するものは自画自賛に満ちています。テストも無しに、そのように実装されたフィーチャーが実際に利用価値があるかどうかを識別することは困難ですし、どれもがそれぞれの新製品の「委任統治」になってしまっていますし(この頃ではそういったもの無しには市場性を見いだせませんからね)、いずれにせよそういったフィーチャーが必要かどうかはお構いなしなんです(オブジェクト指向、Java、XML、ハイパーなんとか…)。Cacheもインストールしてみましたが、いろいろと試したり学んだりする時間がまだ無いのが現状です。
そういったものがすぐにもRDBMSを市場で置き換えるでしょうか?Noだと思います。
それらがすぐにもRDBMSの深刻な競合製品となるでしょうか?Noでしょう。それらの製品の性能がアドバンテージを本当に得るためには、新しいスタンダードが必要となるでしょう、新しい接続ドライバ/ライブラリ/コンポーネント、その他。しかし、何事もいかに乱暴に/攻撃的にどうするのかということに、その市場性というのは関わっているのでしょう。あるいは恐らく、そういったものがオープンソースとしての価値を現す時にかかっているのだと思います。
しかし私はよい研究者ではないので、例えば、60年代から70年代の高級言語での開発を見ると、Pascal、Simula、Ada…、クラス/オブジェクトのような素晴らしいフィーチャーを持っていて、構造化された例外ハンドリングがあり、強力な型チェックがありました。いったい誰が何年にもわたって支配的な言語が C になることを期待したでしょうか(私は絶対ちがいます)!?

Marina Novikova: あなたのWebサイトのほとんど全てのアーティクルはサーバサイドに関するものです。そこから察するにあなたの開発経験はほとんどがデータベース上のもので、クライアント・ソフトウェアを書くことは少ないのでしょうか。その場合、もしあなたがクライアント・アプリケーションを書くとすると、どういったオペレーティングシステム上で、どういった開発環境を利用されていますか、また、それはどのような理由からでしょうか?

Ivan Prenosil: 私はデータベースとアプリケーションの両方を開発しています(とはいえ最近はほとんどデータベース上の開発に時間を費やしています)。サーバサイドに関する記事は、そちらの方がより多くの人々にとって有益だと強く考えているからです。もしクライアント・サイドに関して何かを書くとしたら、ほとんどの場合、特定のアクセス・メソッドやライブラリに制限される事になるでしょう。
現状では、私はWindows上の開発を行っています、単にそれを顧客が使っているためですが(しかしこれまでにOpenVMS、Sinix、Linuxでも開発を行ってきました…)。
最初に学んだコンピュータ言語はAlgolでした(それはまだ私がコンピューターというものを目にする前のことです)。二番目の言語は(TIとHPのプログラム電卓を除いてね)Pascalでした(それをICLコンピュータ上で遊びました。コンパイラを書いたのはWirth自身で、いくつかのバグを修正するパッチを書いたことを覚えています)。とはいえ最近では私はC言語を学び、使用しています(そのほかにもいくつかあったけど、もう忘れてしまいました、いまでは誰も使っていないようなものです、Fortran、Prolog、Simula67なんかですね)、一度でも高級言語を使用したことがあるならおわかりでしょうが、C言語のような低級言語を使いたいとは思わないでしょう(私はこれを「高級アセンブラ」と呼んでいます)、特に理由がない限りはね。ということで、質問の答えになりますが、私の好んでいる開発言語はPascal/Delphiなんです。
その上、ObjectPascalが欠点(例えば移植性の無さ)を持っているとしても、オルタナティブはありませんね、広く使われている(コンパイラ)言語を挙げると、C++位になりますが、私が思うにC++はCから悪いところを沢山引き継ぎすぎているように思います。(しかしC++Builderを使うことはあったかも知れません、BorlandがそいつをDelphiより前に作っていたとしたらですが)そういった意味では、ふさわしい開発言語を選択するという問題を解決するために、自分たちで言語を開発して使っている会社もありますね。

Marina Novikova: InterBaseとFirebirdが離れていく傾向にあることをどうお考えですか?両者は全く違ったデータベース・サーバになっていくと思われます。これはプラスですかマイナスですか?

Ivan Prenosil: それは傾向ではないですね、両者はすでに全く違ったデータベースになっています。ここ何年間か、私はいろんなニュースグループに流れる不満を読んできました「上司(あるいは顧客)が、最愛のInterBaseの代わりにOracle(とかMSSQL)を使えと言うんです!」とね。いまでは、それどころかこんなメッセージが流れています、たとえば「上司がFirebirdの代わりにInterBaseを使えというんです!」「上司がInterBaseの代わりにFirebirdを使えと言うんです!」などですね。
こうした分離の不利益があるとすれば、遅かれ早かれほとんどのデベロッパはどちらかを選ぶことになって、多くのアプリケーションがFirebird-OnlyやInterBase-Only(あるいはYafill-Only)になってしまうことでしょう。逆に言えば、選択することはいいことだとも言えます。両者の分離は、同じルーツを持つオープンソース製品とクローズドソース製品の開発競争という滅多にない機会になるからです。また、FBとIBが再統合される可能性は全くないでしょうから、こうしたことに時間を費やすことは無駄だと思います。
ということで、「プラス」に1票としましょう。

Marina Novikova: コンピュータゲームをやりますか?もしイエスなら、お好きなものは何でしょうか?

Ivan Prenosil: あなたは、厳粛な開発者という私のイメージをぶちこわすおつもりですね?(^^;イエス、コンピュータゲームをやりますよ。あまりしょっちゅうではないですが、年に2本くらいかな、大体アドベンチャーゲームなんですが、例えば、ルーカスアーツのGrim Fandango(英語教育に最適ですね、音楽も素晴らしい)です。

Marina Novikova: 開発者として見た場合、InterBaseに欠けているものはなんでしょうか?

Ivan Prenosil: それはとても長いリストになっていまいますね、全て列挙しましょうか?(^^;-いくつかの素晴らしい機能がAPIからしか使えないこと、DSQLやSP/TriggerやUDFで使えません、BLOBフィルタやストリームBLOBなどです。-ケース・インセンシティブな検索、隠しフィールドは余りいい考えとは思えません、Dave氏のコレーションKitはいい考えです、不幸なことにFBサーバのいくつかの制限のためにケース・インセンシティブなLIKEとSTARTING演算子の問題は解決できていません。-オプティマイザに対する制御をより強化すること、現在のオプティマイザは情報が少なすぎて、最適化したPLANを作成することが出来ないのです(例えば最初のレコードをより短い時間で取得したいとか、全結果セットをより短い時間で取得したいとかあるでしょう?速度よりも考えなくてはならない重要なことがあることも考えられます。例えば、indexによって行間を移動するよりもソートを早く行いたいとか、巨大なソートファイルを作成する余裕があって、データベースより大きくなってしまうとかね?)-セキュリティの強化(誰でも新しいデータベースを作成できて、新しいオブジェクトをデータベースに作成できて、オーナーでなくてもオブジェクトをドロップできて、全てのジェネレータの値を変更できて、キャッシュサイズを変更できる…)

Marina Novikova: InterBase Worldのコミュニティに一言お願いします。

Ivan Prenosil: いつでも人々が素晴らしいアイデアとともにあり、それを実装するだけの十分なエネルギーも、それから革命的な変化をさえ実行するだけの勇気も与えられますように。


旧Firebird日本ユーザー会サイトから移行した過去記事です。内容は当時の記録です。記事内のリンクなどはリンク切れなどにご注意ください。

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Interview with Craig Stuntz on InterBase World

Interview with Craig Stuntz
2003 / 1 / 20
2004 / 7 / 1 翻訳版 DelphiマガジンVol.35 掲載
Written by Marina Novikova
on InterBase World (URL http://www.interbase-world.com/)
翻訳:林 務(株式会社アペックス)

 本インタビューは、InterBase World のWebサイトでMarina Novikova氏によって公開されたものを、Marina氏とCraig氏の許可によって翻訳したものです。
 Craig Stuntz氏は、Borland社の運営するニュースグループ等でBorland製品をサポートするTeamBというグループに所属して、InterBase担当として活動されています。また、InterBase PLANalyzer や InterBase Performance Monitor などのフリーツールを公開して、デベロッパーに奮起を促しています。
 Marina Novikova氏はロシアの企業で英文翻訳とテクニカル・ライターをするかたわら、InterBase Worldの管理者をなさっています。Marina氏はInterBase Worldで、毎週のようにインタビューやレビューを更新されているのですが、このインタビューは、技術的なことやビジネスに関することだけでなく、各ゲ ストの人となりがよく現れていて、私はいつも楽しみにしています。


Marina Novikova: ご自身のことについてお聞かせ下さい。
趣味は何でしょうか?また、どんな音楽をお聴きになりますか?それから、お気に入りの本(作者)はどんなものですか?

Craig Stuntz: 私はたくさんの趣味を持っていましたが、昨年娘が生まれてからは、仕事以外のことでは彼女と遊ぶことの他には何もしなくなってしまいました。
もっとも、私と妻は二人で築115年の古い家屋のリストアをしている最中なので、2,3時間でも手が空いた時には家具を組み立てたりもしています。
音楽の趣味について言うと、なんでもありなんだけど、商業ラジオでかからないようなものならほとんど何でもOKですね、でも、ここはロシアのサイトなのでお気に入りのロシアのバンド

[1]

を宣伝させてね。
ここ数週間の間に読んだ本で一番いいなと思ったものは、Daniel Ellsberq の『Secret』

[2]

なんだけど、お気に入りの作家というとJannette Winterson

[3]

かな、彼女の体操のようなな言葉の使い方がお気に入りなんです、それから、Neal Stephenson
[4]

ですね、彼の創作は素晴らしいですね。

Marina Novikova: ビールはお飲みになりますか?もし飲まれるのであれば、どんな銘柄がお好きですか?

Craig Stuntz: もちろん飲みますよ。新鮮なものがいいですね。UKでは、どこでもうまいビールが手に入りますが、合衆国では、ちょっと難しいですね、もっとも、私の街ではいいビール・パブ(全部で4ヶ所以上ありますね)があるので安心です。自分が好きなのは、Bell
[5]

ですね。

Marina Novikova: 今までもらったもので、一番おかしな(へんてこな)プレゼントは何でしたか?

Craig Stuntz: ミツバチの群
[6]

ですね、父親からもらったんですが。

Marina Novikova: これまでに一番エキサイトした日、あるいは一番素晴らしかったなと思った瞬間というのは覚えておられますか?

Craig Stuntz: ちょっとはまりすぎだけど、本当のことなので。やっぱり娘が生まれた日ですよね。ウチの娘は自宅で生まれたんですが、ちょうどトルネードのまっただ中だったんです!なんというかエキサイティングで、素晴らしい出来事でした。

Marina Novikova: 嫌いなことはどんなことですか?他人のどんな振る舞いにイライラしたりしますか?

Craig Stuntz: いつもつまらないことをしないように心がけているんですが、たとえばほとんど考えなくてもいいこととか、何かをする時にはね。そんなわけで、粘着質の人とか、私利私欲にとらわれている人、個人攻撃ばかりする人と付き合うのはいやですね。

Marina Novikova: 好きなだけ自由な時間があったら、何をしたいと思いますか?(^^)

Craig Stuntz: 何も。自分の娘と遊ぶことは除外してね、それは責務でもあるんですが、楽しいことでもあります。

Marina Novikova: 大きな夢をお持ちですか?

Craig Stuntz: 私の娘について、もっと聞きたいということかな?(^^)

Marina Novikova: ピクニックに行って、Dale Fuller氏のハンバーガーを食べたことがあるというのは本当ですか?(^^)

Craig Stuntz: そんなことはないですね。その手の噂はデマです。いますぐここでそうしたデマを断ち切りたいですね。なにしろ、私が食べたのはDale氏のマッシュルームバーガーなんですから。私はベジタリアンなんですよ。(^^)

Marina Novikova: 学歴をお聞きしてもよろしいでしょうか?また、どうしてハイテク領域で働こうと思ったのでしょうか?それから最初にInterBaseに興味を持ったのはいつ頃のことでしょうか?

Craig Stuntz: 学歴ですね、音楽の話と同じなのですが、これまた何でもありなんです。まず、映像関係
[7]

の学位を取得しています。その後、核物理学と電気工学を学びました。学問的には、成績は良かった方ですが、大学は結局実際の生活をチャレンジングなものにすることからかけ離れてしまっているという結論に達したんです。それから私は非営利団体
[8]

のいくつかで仕事をしました(わざとそうしているようなところがありました)、Vertex Systems社
[9]

に腰を落ち着けるまでですが、そうした非営利団体は非営利で活動すると共に、うまく運営していくために十分な利益を出さないといけないのですよね。多くの人々とと同様に、私はDelphiについてきたのでInterBaseを発見しました。自宅でInterBaseを使って遊んでいただけで、なにか重要な仕事に使ったりしたことはありませんでした、Vertex社で仕事を始めるまではね。

Marina Novikova: InterBaseのニュースグループで活動していると、しばしば同じ質問や同じ間違いを犯す人々を見かけると思います。こういう事に腹を立てたりしませんか。

Craig Stuntz: いいえ、頻繁に上げられる質問は、答えるのも簡単なのです。:) また、忙しい時はそういうものは読み飛ばしてしまいますしね。というのも、多分他の誰かがそうした質問に答えてくれるだろうなとわかっているからです。もし、何度も何度も質問されることがあったとして、それがどこにも文書化されていないとすれば、私はそうした問題に関するアーティクル
[10]

を書くことにしています。私をいらいらさせる質問があるとすれば(怒らせるとまでは行かないけど)、こちらが適切な答えを書くために必要な情報を、いやいや書いて来るような時ですね。もし、答えを書く時間を使ってほしいと思うなら、その質問についてあなたの抱えている問題の詳細を十分に書いてほしいと思うのです。

Marina Novikova: TeamBでは長いこと働いているのですか?このことから得ているものはなんでしょう(お金に関することではなくて、興味を引かれている事という意味です)

Craig Stuntz: かれこれ3年くらいTeamB
[11]

のメンバーをやっています。金銭的利益に関して質問しなかったのは正解です、ただ働きなもので。:) この数年間BorlandのR&Dの仲間と一緒にやってきたことが一番の宝だと私は思っています。私がマニュアルや簡単な実験以外の部分でInterBaseについて学んだことのほとんどは、こうしたとても頭の切れる仲間とのやりとりの中で得たものです。私がInterBaseのコミュニティに対してお返ししようと思っていることは、テクニカルサポートやフリーのツール
[12]

以外に、Borlandとサードパーティの開発者の関係をより強化したいということなんです。私はこれまでに2つのInterBaseコンパニオンCD
[13]

を作成していて、定期的にサードパーティのツールメーカがBorlandからのサポートを受けられるように手助けしています。

Marina Novikova: FirebirdがInterBaseへの交換性を保ち続ける可能性についてどのようにお考えですか?彼らがはっきりと言っているように、FireibirdはBorlandの顧客を欲しがっています。

Craig Stuntz: 私はFirebirdプロジェクトに関わっているわけではないので、この件について何か言う立場にないと思いますが、Firebirdチームは彼らのプロジェクトにとってベストだと思うことをする意外にないでしょうし、その根拠もあるのだと思います、それにもし彼らがInterBaseとの交換性を必要ないと思ったり、彼らのツールをもっと多くの人々に使ってほしいと思わなかったりしたとしたら、かえって私はびっくりしてしまいますよ。それに、自分の顧客を他の企業が欲しがらないことを期待するような企業は、結局のところ長いビジネスを続けていくことは出来ないでしょう。

Marina Novikova: InterBase7は革命的なテクノロジーだと思いますか?

Craig Stuntz: 実際の所はそんなものではないですね。バージョン7の新機能によると、データベース界で新機軸となるようなものはありません。実装が大変良くなっているにも関わらずね。しかし、バージョン7は私がInterBaseを使うようになってから、もっとも重要なアップグレードになっています。ご存じの通りスレッド周りが改良されているのですが、私が思うにバージョン7は本当の意味でSuperServerアーキテクチャーという約束を満足させる初めてのものでしょう。しかし、私の日々の業務を大きくかえる可能性のある新機能は、テンポラリシステムテーブルに関するものです。この機能によってサーバの非常な詳細までをモニタすることが出来るようになりました、もう盗人みたいなクエリーやトランザクションやユーザ等々を書いたりしなくてもいいのです。私はInterBase Performance Monitorを書いていますが、文字通りこのツールを自分自身のデバッグに使っています。DelphiのIDEからPerformance Monitorを実行していて、ランタイムで実行していると見間違ったことがありました。

Marina Novikova: オープンソースのInterBase6についてご意見をお聞かせ下さい。これは、Borlandにとってミスだったのでしょうか、それともそうでなかったのでしょうか?

Craig Stuntz: 私が思うに、恐らく誰であってもいくつかの間違いを犯してしまうことはあるでしょう。あとづけの意見で、InterBaseをオープンソースにしたのは間違いだったという人もいます、しかし、こうした意見は単純すぎると思います。何らかの意味で、オープンソース化によって、Jon ArthurがInterBase部門の役員になったわけですが、このことはInterBaseにとってはとてもいいことでした。

Marina Novikova: InterBase7の値段は高くなりました。この価格政策についてお聞きしてもよろしいですか?

Craig Stuntz: この前、この件に関するアーティクルを書いたのですが、InterBaseと他の商用データベースの価格を比較したとき、標準価格に関して、最低でも、InterBaseは価格競争力があると思います。しかし、もし私にそうした権限があるとすれば、2点ほどInterBaseの価格構成に関して変更したい事があります。まず、フリーで無制限な開発用ライセンスが必要です(現在の唯一の選択肢はBorlandの開発用ツールについてくるライセンス又は評価用ライセンスを利用するというもので、両者とも同時接続数に関する制限があります)、それから、CPU数でのライセンスが必要です、同時接続数の制限は無制限のものです、そうしないと他の商用データベース製品との価格競争力を保てないでしょう。明らかに、私が欲しいものもこれなんですが、Borlandのビジネスに関して彼らがどうしようとしているのかをこれ以上知りたいとは思いません。

Marina Novikova: あなたのお好きなIDE/開発ツールはなんでしょうか?

Craig Stuntz: もちろんDelphiですよ。IDEは十分に素晴らしいものですが、それ以上に言語としてとても気に入っています。他の言語でこれはいいなと思うものは、Eiffel
[14]

くらいですが、これについては商業市場は全然動きがないですね。

Marina Novikova: オープンソースプロジェクトに対してどのような態度をおとりですか?

Craig Stuntz: そうですね、この答えをMozillaで書いてるんですが、私はオープンソースのツールをよく使っていますよ。それに、SourceForgeでプロジェクトの管理者もやっているんです、MIDAS Essentials Packというものですが、そこでは大変活発に活動をしています。他にもいくつかオープンソースの活動に関わっていますが、私がニュースグループ上で他のデベロッパのプロジェクトについて、それを支援するために手間暇かける際には、それがオープンソースであろうと、クローズドソースであろうと、他の何かであっても関係ありません。

Marina Novikova: Plan Analizerをオープンソースにしようという計画はありませんか?

Craig Stuntz: 現時点でInterBase PLANalyzerに関しての長期計画はまだありません。たくさんのIBデベロッパの要求に応えられるようにしたいのですが、現時点では永遠に一つの道に縛られるようになってしまうようなことはしたくないのです、そういうわけでとりあえずうっちゃっているんです。ツールの裏側にあるものは話す価値があると思ってはいます。BorCon2001で、その時点で可能なサードパーティのInterBaseツールのほとんどについてレビューをしました。いくつかのとても良いツールがあるにも関わらず、いくつかの機能はそのどれでも実現されていないのです、ツールはたくさんあるんですけどね、そしてみんな同じようなことをやっているわけです。私がIB PLANalyzerを書いたのは自分が必要としていたからなのですが、サードパーティのツール作者に対するある種の挑戦でもあったのです、かれらが追いついてきてくれたことを話すことが出来るというのはとてもいいことです。私は二番目のツールである、InterBase Performance Monitorをリリースしました、昨年のことです。そして、来年の終わり頃には次の新しいものをお見せできるでしょう。今の時点では、どんなツールもそれを実現しないことをやって見せますよ。まだ秘密なんですけどね・・・。



[1]


http://www.yat-kha.com/ YAT-KHA というバンドで、中央アジア系?民族音楽みたいな感じでしょうか。



[2]

http://ellsberg.net/ 『Secrets: A Memoir of Vietnam and the Pentagon Papers』が正式名称。ダニエル・エルズバーグ氏はベトナム戦争の政府文書を公表し、トンキン湾事件がねつ造であったことなどを暴露した人物。本書では、イラク戦争をベトナム戦争になぞらえて批判している。



[3]

http://www.jeanettewinterson.com/ 『オレンジだけが果物じゃない』でデビューしたイギリスの女性作家。同性愛に関しての告白を含む半自伝的小説である同書は、日本でも人気を博したようです。



[4]

http://www.well.com/user/neal/ コンピューターネタの小説が中心のようですが、『In the Beginning was the Command Line』が「太初にコマンド・ラインありき」というタイトルで、週刊アスキーに翻訳が連載されていたようです。



[5]

http://www.bellsbeer.com/ ミシガン州Galesburgのビールメーカ。



[6]

http://catalog.heifer.org/bees.cfm こんなものも売ってるんですね。$30です。



[7]

http://www.rit.edu/~sofa/ School of Film& Animation



[8]

http://www.ohiocitizen.org/ Ohio Citizen Action 環境保護団体のようです。



[9]

http://www.vertexsoftware.com/ システム系コンサル会社のようです。



[10]

http://delphi.weblogs.com/articles Craig Stuntz氏によるWebsite。Delphi / InterBase Weblog というタイトルで、興味深いアーティクルが満載です。



[11]

http://info.borland.com/newsgroups/teamb/ TeamBはBorlandのニュースグループ等でサポート活動を中心となって行っている人々です。Craig氏はTeamBの中でInterBase担当となっています。



[12]

Delphi / InterBase Weblogs にて、「InterBase Performance Monitor」「InterBase PLANalyzer」を配布されています。



[13]

http://delphi.weblogs.com/stories/storyReader$180 希望すればこのCDにツール等を収録してもらえるそうです。


旧Firebird日本ユーザー会サイトから移行した過去記事です。内容は当時の記録です。記事内のリンクなどはリンク切れなどにご注意ください。

過去記事掲載時URL(閉鎖予定):http://tech.firebird.gr.jp/firebird/site_rsrc/images/92/interview_craig_stuntz.html

InterBase World Interview

InterBase Wrold Interview and Review

本コーナーでは、PSネットワーク発行のDelphiマガジンにて連載中のInterBase World Interview and Review 掲載記事を、PSネットワーク様の承諾をいただいて公開いたします。
Marina Novikova氏 は ロシアの企業で英文翻訳とテクニカル・ライターをするかたわら、InterBase Worldの管理者をなさっています。Marina氏はInterBase Worldで、毎週のようにインタビューやレビューを更新されているのですが、このインタビューは、技術的なことやビジネスに関することだけでなく、各ゲストの人となりがよく現れていて、私はいつも楽しみにしています。


旧Firebird日本ユーザー会サイトから移行した過去記事です。内容は当時の記録です。記事内のリンクなどはリンク切れなどにご注意ください。

過去記事掲載時URL(閉鎖予定):http://tech.firebird.gr.jp/firebird/index.php?firebird_xsite=92

Interview with Mark O’Donohue on InterBase World

Interview with Mark O’Donohue
2003 / 2 / 17
2004 / 5 / 1 翻訳版 DelphiマガジンVol.34 掲載
Written by Marina Novikova
on InterBase World (URL http://www.interbase-world.com/)
翻訳:林 務(株式会社アペックス)

 本インタビューは、InterBase World のWebサイトでMarina Novikova氏によって公開されたものを、Marina氏とMark氏の許可によって翻訳したものです。
 Mark O’Donohue氏はFirebirdSQL Foundationの初代総裁を務められています。FirebirdプロジェクトをHelen Borrie氏と協働して立ち上げるために尽力され、Helen氏と共にその名付け親ともなった方です。Mark氏は、インタビューの中でも語っておられるように、ユーザーとしての立場から、Firebirdの開発を支えておられます。裏方に徹して、開発者のために奔走される氏の働きに敬意を表します
 Marina Novikova氏はロシアの企業で英文翻訳とテクニカル・ライターをするかたわら、InterBase Worldの管理者をなさっています。Marina氏はInterBase Worldで、毎週のようにインタビューやレビューを更新されているのですが、このインタビューは、技術的なことやビジネスに関することだけでなく、各ゲストの人となりがよく現れていて、私はいつも楽しみにしています。


Marina Novikova:  ご自身のことをお聞きしてもよろしいですか。

Mark O’Donohue:  そうですね、全般的に言って、私自身はきわめて平均的な男性だと思います。40歳になりますが、妻がいて子供が3人います。最近、アデレードへ旅行をしてきたのですが、これはその時の写真です。Josie(10歳)、Jacob(7歳)、Fergus(4歳)、それから車を運転しているところです 。(妻の写真がありませんが、彼女はボーランド・カンファレンスに行きたいと言っていたので・・・:-)私は1980年からソフト書きの仕事をしていて、現在はLinux上でのJavaの仕事がメインとなっています。最近私たち(家族のことですが)はフィリップ島へ引っ越しました、私が働いているオーストラリアのメルボルンが一番近い都市なんですが、そこまで2時間くらいかかる所なんです。フィリップ島は素晴らしいところで、次の扉を開ける とその一端をご覧いただけます、とはいっても我が家はちょうど建て替え中なんですけどね。

Marina Novikova:  どんな趣味をお持ちですか?また、音楽はどんなものをお聴きになりますか?読書や映画ではどんなものがお好きですか?

Mark O’Donohue:  趣味から言うと、海で泳ぐこと、サーフィンをちょっとだけ、シュノーケーリング、ブギーボードやボート、島での生活のために欠かせないこと全て、読書やある種の古い車、などなど。 Caption: Adelaideでの結婚式に出席した時のMark、ちょっとビールを飲み過ぎたかな

音楽は、The Buggles, The GadFlys, Ichy & Scratchy, Miles Davis, The Bonzo Dog Doodah Band, Philip Glass, Gondwanaland, (誰かが Radiohead, Joy Divesion, the Clash のことは言ってたね)全てにおいてクリエイティブでちょっと変わったものが好きなんだ。

作家について、SFがとっても好きで、特に未来がどのようにして、どうなっているのかという事について新しいアイデアを持っているものが好きなので、Philip K Dick(大好きですね)、William Gibson, Joe Halderman, Iain M Banks, Brian M Stableford, それから、Stephen J Gould, Ritchard Rhodes 、それだけじゃなくてもっともっと沢山の作家達がいるんだけどね。

Marina Novikova:  ビールはお飲みになりますか?もしそうだったら、お好きな銘柄はなんでしょうか?

Mark O’Donohue:  このあたりの夏ってのはとにかく暑くてまいってしまうので、旨いビールは欠かせないね。最近のお気に入りは、NSWのHahn Premiumで、次に同じくらいお気に入りなのが SA産のCoopers Pale Aleだね。もっとも、昨日は(ここでのこれまでの最高気温44℃だったんだ)冷蔵庫にあるものなら何であれ、ありがたかったね。

Marina Novikova:  今までにもらったプレゼントで、一番ヘンだったものはなんでしょう?

Mark O’Donohue:  ファイルキャビネットなんだけど、妻からもらってね、そいつに何かがあるってわけじゃないんだけど、ただ、誕生日にそんなものをもらうなんて思いもよらないでしょう?

Marina Novikova:  これまでの人生で、最もエキサイトした日、あるいは、もっとも素晴らしいと思った日を覚えていらっしゃいますか。

Mark O’Donohue:  私のメモリはちょっと足りないので、難しい質問ですね。私にとってもっとも素晴らしい瞬間というのは子供達のことがほとんどなんです、子供達が生まれてからね。とてもシンプルなことばかりですが、一緒に自転車に乗ったり、一緒に散歩をしたり、難破船の残骸を見に行ったり、島を一周してみたり、そういったことがとても楽しいんです。[もっとも子供達のことは、また、とっても悪い出来事も多いのですがね、ま、それはまたの機会にお話ししましょう]

Marina Novikova:  どんなことがお嫌いですか。また、周囲の人々がどんなことをするとイライラしますか?

Mark O’Donohue:  私は物事をオープンに正直に行うたちなので、それは周囲の人々や顧客や消費者に対してなんですが、相手にも同じようにしてもらえると嬉しいですね。倫理学はビジネスにはなじまないという人々もいますが、百聞は一見にしかずですが、ある人がどう振る舞うかということは、その人がどういう人かと言うことを雄弁に物語ってくれます。そんなわけで、私は営業関係の人々や、役所の人々や、自己啓発野郎みたいな人たちのために時間を割くことはしないんです。

また、いらいらさせられるのは、作り笑いとか、おべんちゃら、そう、マクドナルドで経験するあれが典型ですがね。(このことで思い出すのは、マイクロソフトの社員や他の各種のカルトのメンバーといくつかの仕事をした時のことですね)

Marina Novikova:  自由になる時間がたくさんあったら、どんなことをしたいと思いますか?:)

Mark O’Donohue:  最近は自由になる時間なんてものはなかなかお目にかかれないんですが、この前は、読書をしましたね、それから私の博士号のための作業をして、その他の趣味の一つについてはさっき話したよね。

Marina Novikova:  あなたにとっての大きな夢というのは何でしょうか?

Mark O’Donohue:  Firebirdに関して言えば、OracleとMSSQLをノックアウトすることかな、パフォーマンス、スケーラビリティ、使い勝手のすべてにおいてね。

もっと現実的な夢と言うことだったら、Firebirdがオープンソースのプロジェクトとして長生きし続けること(出来るだけ長くね)、それから開発者たちが大変な努力を強いられなくても良くなること、かな。

Marina Novikova:  これまでにどんな国に行かれましたか。一番好きな国はどこですか。

Mark O’Donohue:  オーストラリアはくまなく旅行してまわってますね、、それからインドネシア、シンガポール、マレーシア、ニュージーランド、アメリカにも行きました。どこも素晴らしく、それぞれ独自の魅力がありました(マレーシアの食事とかね)。将来においては、中国へ行ってみたいですね、特別の魅力があるんだよねぇ、それから、また、ヨーロッパへもとっても行ってみたいですね、まだ行ったことがないんですよ。旅行はとても好きで、旅行によって新しい経験をするのが好きで、そこで出会う人々がとても好きなのです。でもね、新しいことがとてもいいなと感じるのと同じくらい、家に帰ってくるとやっぱりほっとするよねぇ。

Marina Novikova:  学歴についてお聞きしてもよろしいですか?

Mark O’Donohue:  大学でコンピューター・サイエンスの学位を取りました(途中まではメルボルン大学で、卒業は王立メルボルン工科大学でした)。コンピュータ関係の仕事をいろいろとやりながらだったので、勉強自体はほとんど片手間でした。随分前のことなんですが、私はコンパイラを専門に書いていて、Ada言語定義をパースするためのLR(1)パーサーを書きました(yacc が唯一のLALR(1)になったので仕事は打ち切られましたがね)

長いこと学問から離れていた後、非常勤で戻って、人工知能をやりました、それから歴史と科学哲学、最終的にはバイオテクノロジーで、博士号にたどり着きました(もう十年になりますが、いまだに非常勤です)-今でも私は注意力散漫なんですね。:-)

私が初めてInteBase(それとStarBase)に関わるようになったのは1990年頃でしたが、VAX/VMSとHP-UX上で稼働していました。我々はその時から数年間それをよく使っていました、OracleやVAX/RDBやその他のデータベースと比較してね、そう、それは宝石でした。

私がその会社を辞めてから、しばらく触ってなかったんですが、2000年の3月に博士号のプロジェクトのためにlinux上で稼働するデータベースが必要になったのでまた使い始めたというわけです。

Marina Novikova:  どうしてハイテク領域の仕事をしようと思ったのですか?

Mark O’Donohue:  大学にいた時のことですが、コンピューターと私はやけに馬があったんです。私はとてもラッキーだったので、技術的なことにすぐ飛びついて、(願わくは)現実のプロジェクトの中で現実世界の仕事にうまく適用して見せることができたんだ。私の仕事上の興味は、OOプログラミングに向かわせたんだけど、java、linux、暗号化、もっと最近のものでは、linuxのクラスタリングに行って、そして、またFirebirdに戻ってきたという訳なんだ。:-)

Marina Novikova:  最初に書いたプログラムはどんなものですか?

Mark O’Donohue:  私が最初に「実用的」なプログラムを書いたのは1979年のことです、パスカルでパンチカードに書いたものですが、自動的にキャラクターを演じるというもので、ロールプレイングゲームのためのものでした。SourceForgeのPCGenの統計から、多くの人がまだこうしたものに興味を持っていることがわかりますね。

Marina Novikova:  あなたのお言葉についてお聞きしたいのですが、「Firebird/InterBase/Yaffil へのロシアの影響、この全体的なmis-adventureの中で、重要な部分で競合しているか、ますます競合する可能性が高くなっている」と言われましたが、どういう意味なんでしょうか。

Mark O’Donohue:  mis-adventureについて。

過ぎ去ったことを協調したいわけではありませんが、このことについては真剣に考えています、つまり Firebird/InterBase/Yaffil のことについてですが、これはmis-adventureだと思うのです。あなただって、オープンソースのプロジェクトを始めようとしたら、わざわざ混乱したり愚かなやり方で始めようとはしないでしょう。ありがたいことに、なんとか落ち着いてきたので、2003年から2004年にかけてFirebirdがさらに前進することは間違いないと思っています。

ロシアの影響について。

Firebirdのユーザーとデベロッパーのコミュニティの両方に関して、とても強烈な国際的な代表者が存在します。しかしながら、多くの多国語間のやりとりは英語で行われてきました、そして言葉の問題は人々がコミュニティに参加するための大きな障壁になる可能性があります。幸運にも、プロジェクトが英語力が貧困でも何とかなるということがわかって(私自身の英語力は決して高くはありません)、いろんな言語のニュースリストやWebサイトがあって、それが言語の壁を乗り越える一助になっているんだなと考えています。しかし、私としては人々がFirebirdをその人自身のプロジェクトに使ってくれるように(私がそうしたようにね)なってくれるといいなと思っていて、しかも、そうしたことが彼らが英語のニュースリストに参加していなくても出来るようになっていないといけないと思うんです。そして、そうした人々はどんどん参加したり、Firebirdの将来についての決定を支援する権利を持っているんです。そう、私がそうであるようにね。大勢の人たちからの意見を聞くことはとても嬉しいことです。:-)

ロシア語圏の人々は、実際のところ、Firebirdの将来において大変力を発揮すると思います。いま、ロシアのFirebirdユーザーはすでに大勢いるわけですが、ここ2年くらいに間に、そういう風になってきて、Firebirdの開発者のかなりの部分がロシア人になっています(Yaffilについても同じ事が言えます)。私が言いたかったことは簡単なことなのですが、このことによって、ロシア語圏の人々は、Firebirdを利用したり開発したりすることが楽になっているんだろうなということなんです。

Marina Novikova:  ボーランドが手を引いた後、他の数名の開発者たちとFirebirdチームを結成して、コードを書き続けようと決めましたね。この決断についてどのようなお考えですか。

Mark O’Donohue:  とても多くの人々が頑張っていました、また、多くのものが失われました、InterBase6.0の中止が決定された時期(1999年の12月)とオープンソース製品としてのドアが開かれた時期(2000年の6月、Claudioの年表 を見てね)のことです、結局全てにおいて(全てというのは、その後も引き続いてボーランドにおいて決定されたことも含んでですが)実際に起きたことを通して信用は失墜してしまいました。

ボーランドとISCの取引が失敗に終わった時、沢山の苦悩だけが残りました、不信感と疑惑だけが周囲を漂っているような状況でした。私にとって、純粋にオープンソース・プロジェクトの観点からいって、オープンソース・プロジェクトを立ち上げることは、できれば政治的に中立などこかでというのがいい考えだと思いました。いくらか根回しをした後で、出来る限り多くの人たちとコンタクトを取って、それからHelen Borrieに助けられて、FirebirdプロジェクトをSourceForegeで立ち上げたのです。

個人的に言うと、私がこのプロジェクトに参加したのは、将来のソフトウェア業界でオープンソースが中心的な役割を果たすだろうと思ったからなのですが、90年代初期を通じて大好きになったデータベースのことだったからです(それに加えて、商用製品に対して、十分対抗しうるものでした)。これはチャンスだと思って、一部を担っていこうと思ったのです。

それからは、ほんのちょっとだけ時間を使って、我々がやっていることの全体像をつかもうとしています(このことが少しだけでも素晴らしいことだって事は約束しますよ)他のグループを見渡すと、例えば、学校の周りの親たち、スポーツクラブの人々、カーマニア、切手収集家、チェス指し、キルティング・サークル、等々ですが、純粋に収益を最大化しようと言う観点から見ると、多くのグループは実にセンスがない(もちろん自己啓発野郎を除いてね)。プロフェッショナルの組織でさえも、例えばパイロット、トラック運転手、農民、整備工、どれも製品や仕事に対する誇りについて純粋に関心をもつ傾向があります。誤解があってはいけませんが、対価を得ることは仕事の重要な一面です、しかしそれだけでなく、良い仕事をすることも大事なことです、あなたのまわりの人たちもみんなそうだと思いますが、それから我々のFirebirdの開発に参加して、作品を創り出したり、手を加えていくということも同じように大事なことなんです。

Firebirdプロジェクトでは、自分でこれが緊急だと考えたものをいつでもやってきました。最初は、コーディングから始めました(実際、私の唯一の成果は、10時間かけてlinux上でビルドするためのソースコードをリリースしたことなんですが)。しかし、ほんの些細なもののために毎晩、というか翌朝の5時まで作業を続けていて(現在も開発作業は、同じような状態で続けられているのですが)、もっと楽になるにはどうしたらいいかがわかりませんでした。私はFirebirdにとって最も緊急な仕事は何であるかということについて、安定したビジネス・モデルを作り上げること、より安全な財政的フレームワークを構築することだと感じていました、それがユーザーと開発者の双方のストレスを減じることにつながると思ったのです。今どうなっているでしょうか、たくさんのつまらない管理的仕事ばかりですが、使える時間を全部使ってFirebirdSQL Foundationの設立準備を進めています。

私もコードに戻って、より深刻な問題に取り組みたいと思っています。周りのみんなもよく知っていることだけど(ここから謙遜フィルタ無しね)私自身は素晴らしいアーキテクトでプログラマなんですよ。[Claudioに一度話したことがあるのを覚えています、このくそったれ に6ヶ月もくれれば、Jimの目を見開かせるような仕事をしてみせるよ、とね](さあ、謙遜フィルタを入れ直そう)しかし、私はまだ表面をなぞっているにすぎないと感じています。悲しいかな、私にはその時間がないのです(沢山の管理的な仕事がありすぎて、時間が足りません)しかし嬉しいことに、FFの援助によって可能になったことですが、また、我々が考えもしなかったことですが、他の誰かにそれをしてもらうことが出来るのです。

Marina Novikova:  Firebirdのコミュニティについてお話し頂けますか、あなたからみて2002年のパーソン of the yearはどなたでしょう?

Mark O’Donohue:  今年と言うことでは、Dmitry Yeamanovをノミネートしたいね、次点がNickolay Samofatovかな、それからErik Kunzeだね。開発はハードな仕事だし、時間がかかるので、昨年中は、彼らが我々のFirebirdコア・エンジンのプロジェクトに火をともし続けてくれたね。

もちろん、David Jencks、Roman Rokyytskyy、Blas Rodriguez のみんながJaybird(Firebirdのjava type4 ドライバ)で行ってきた大きな成功と、多くの作業も、賞賛されるべきものだよ。

もちろん、これは大変短いリストなので、大きな貢献をしてくれた人々が沢山抜けてしまっているけどね。

Marina Novikova:  ロシアからの参加者がみんな酔っぱらってしまったら、FBプロジェクトが止まってしまうかもと危惧することはありませんか?

Mark O’Donohue:  ああ、そんなことはもう起きているよ。今後も起きるだろうねぇ(笑)。

Marina Novikova:  Firebirdのソースコードのコメントで、一番おかしなものは何でしょう?

Mark O’Donohue:  お、そいつは意外だね。思い出すのが難しいが、いくつかあったな、あれは、そう、jrd/enc.cppだね。

* “DES will be Totally Insecure within Ten Years,” M.E. Hellman,
* IEEE Spectrum, vol. 16, pp. 32-39, July 1979.

あきらかに、コードは80年代初頭のものなんですが。2003年のインターネット環境という違った理由で意味が変わってしまったが、しかしそれも根拠となって、セキュリティ監査を導入することになりました。:-)

Marina Novikova:  Firebirdという名称は、誰がどのようにして考え出したのですか?

Mark O’Donohue:  Ann Harrisonが提案してきたんだ。私が最初に聞いたのは、Helen Borrieからだったんですけどね。実際は、他にも約1,000の候補があって、SourceForgeに登録する時にどれを使うかさっさと決めてしまわないといけなくて、Firebirdは響きが良かったので、Helenと私はそいつでいこうと決めたのです。

Marina Novikova:  Firebirdは最終的には成功すると考えていらっしゃいますか?また、それを成し遂げるために何をしたらよいとお考えですか?

Mark O’Donohue:  成功することね。私は、Firebirdは安定したプロジェクトになると信じています。

Firebirdは現状では、コア・エンジンの開発、テスト、ドキュメント作成に対して対価を支払えるようなビジネスモデルを必要としていて、もちろん製品は無料で提供し続けなくてはならないし、ソースコードはオープンでなくてはならないよね。

単純に言えば、どうやってお金を得るかなんだけど、Firebirdから利益を受けている人々からそれを得て、開発者に還元するようにしたいんです。オープンソースでないプロジェクトでは、営業マンが開発者と利用者の間でこのお金を生み出しているわけです(加えて委託手数料もね)。これを行うにあたって、委託手数料を無しにして、なんとかするというのはオープンソース・プロジェクト全てにとっての聖杯なんだけど、答えはまだ模索中というところだね。沢山のソリューションを試したんだよ、企業のスポンサード、ドキュメントの販売(CDとかTシャツとかマグカップとかもね)、サポート・サービスの販売、Web広告、特別な「エンタープライズ」バージョンの販売、アドオンの販売等々。原則として、より多くのユーザー層があることが、なにしろ製品は無料なので、まあ助けになるわけだ。

完全な答えが出ない間、FirebirdSQL Foundationがその方向を示す第一段階になっています。Foundationは信用メカニズムを提供しています、企業や個人がお互いに相手を信用していない場合でさえも、お金を集めて、Firebirdの開発活動のために配分することが出来ます。Foundationはまだ発展途上ですが、会員たちによって、すでに一定の成功を収めつつあります。

別のやり方で、もしこの問題に対する正しい答えを知っているのであれば、ぜひ教えて下さい。:-)

Marina Novikova:  お好きな食べ物は何でしょう?プログラミングの前とか、最中に、おなかが減った時どんなものを食べますか?

Mark O’Donohue:  おなかが減っている時にプログラミングをした方がいいようです。おなかが減っているということが、プログラミングの生産性を維持し続けるために働いているという、セオリーがあるんですよ。おいしいものを食べて、空腹感がどこかにいって、実際、うたた寝し始めちゃうんですよ(ワインのボトルがあったりすると、もうてきめんなんだけど)(笑)

Marina Novikova:  他のオープンソース・プロジェクトやFirebirdプロジェクトで、実際に、開発上で一番難しい部分というのはなんでしょうか?

Mark O’Donohue:  開発者が支払う代償です。

前にオープンソース・プロジェクトは100人が周りで見ていて、一人か二人の人が実際の仕事をしていると書かれているのを見かけたことがあります。いいソフトウェアを開発して、テストをするということは、とても大変な作業です、また、安定的に関わることが可能な時間が必要なのです。パートタイムでのプログラミングが、ボランティア・ベースで行われる場合、空いている時間によって制限を受けます、そしてそれを捻出するのはとても大変なことです。しかし、プログラミングは中毒性のものなので、Firebirdに関わった人々は例外なく、出来る限りの時間を捻出して作業を進めています、より多くの問題を解決し、よりよいものを作り出すためにはそれが必要なのです。幾人かは幸運にも、彼らの仕事がその作業を支援してくれています、しかし、より多くのコントリビュートをしている人々は、そうした作業によって相当の代償を払っていて、時間を失うと共に収入を得るための機会を失っているのです。作業自体はとても楽しいものかもしれません、でもみんな食っていかなくてはなりません、Firebirdから離れていってしまう人々が出始めました(ありがたいことに一時的ではあったのですが)、なぜかというと支払うものがとても大きいからです、にも関わらず得られるものはほとんどない。コミュニティの側から、我々は誰かが犠牲にならずに、このエネルギーをつなぎ止めるための方策を見つけ出さなくてはならないと感じたのです。

他にもFirebirdが楽しいという側面があります。

Firebirdには、慈悲深い独裁者はいません。

ほとんどのオープンソース・プロジェクトでは、アーキテクチャーの方向性を決定づけ、原則的にプロジェクトを動かしている数人の個人が存在しています。Firebirdにはそうした人はいません、ですので、10名を超える開発者がみんな自分のこととして開発を進めています。

個人的には、Firebirdにはアーキテクトが必要だと思っています、中も外も知り抜いた誰かが、プログラミングに深く関わって、最終的な設計に関する事柄での発言権を持つこと、方向性を決定し、ビジョンを持って、スムーズに、なめらかに、素早く、アーキテクチャー的に一貫性を持った製品として導いてくれるような人が必要なのです。我々は多くの候補者を持っていますが、みんなフルタイムで関わることが出来ない状態です、また、財政的にもプロジェクトはフルタイムのアーキテクトを支援出来ないのです、まだね。

驚くべき事に、リーダーもアーキテクトも無しに、Firebirdはここまでうまくやってきました、多くの前進があり、より組織化されつつあるように見えます。

FirebirdはDelphiで書かれるべきだった

Firebirdは長い間、強力なユーザー・コミュニティを持ってきました、多くの人々は他のボーランド製品への愛情(マゾヒスティックな愛情なんて言われているけどね)を通して、Firebirdを導入しています。もしFirebirdがDelphiで書かれていたのであれば、開発者は飛び込んできたでしょうね(我々の何人かはCを思い出すために、古い教科書を引っ張り出さなくてはなりませんでしたからね)。

Marina Novikova:  あなたはYaffil(またその他の同様のプロジェクト)に対してどのような態度をおとりですか? このような沢山のプロジェクトの立ち上げによって、初心者がデータベース・サーバーを選択することがより困難になるとお考えですか?

Mark O’Donohue:  私は、Yaffilの中にも、我々と同じものが多くあることを理解しています。我々と同様に、彼らも前へ進む道を探っているのです。彼らは、実際にwin32環境でうまいやり方を成し遂げています。彼らが、財政的にプロジェクトを続けていくための方策を必要としていることも理解できます、そして彼らが戻ってきて、我々と一緒にオープンソース・モデルの開発で、財政問題を解決する道を見つけることを望んでいます。

Marina Novikova:  InterBase Worldのコミュニティに一言お願い致します。

Mark O’Donohue:  オープンソースのFirebirdSQLプロジェクトで、みんなが食っていけるようになることを願っています。


旧Firebird日本ユーザー会サイトから移行した過去記事です。内容は当時の記録です。記事内のリンクなどはリンク切れなどにご注意ください。

過去記事掲載時URL(閉鎖予定):http://tech.firebird.gr.jp/firebird/site_rsrc/images/92/interview_mark_odonohue.html

Interview with Jim Starkey on InterBase World

Interview with Jim Starkey
2003 / 2 / 9
2004 / 3 / 1 翻訳版 DelphiマガジンVol.33 掲載
Written by Marina Novikova
on InterBase World (URL http://www.interbase-world.com/)
翻訳:林 務(株式会社アペックス)

 本インタビューは、InterBase World のWebサイトでMarina Novikova氏によって公開されたものを、Marina氏とJim氏の許可によって翻訳したものです。
 Jim Starkey氏は言わずとしれたInterBaseの産みの親として、Firebird / Yaffilのプロジェクトメンバーに大きな影響を与えています。このインタビューの中ではオープンソースに興味がないとか、Firebirdには余り関わるつもりがないと言われていますが、2003年12月からはFirebirdの64bitCPU対応のためのVulcanプロジェクトに参加してます。DmitryやNickolay等の若手エンジニアとのコラボレーションに期待が高まります。
 Marina Novikova氏はロシアの企業で英文翻訳とテクニカル・ライターをするかたわら、InterBase Worldの管理者をなさっています。Marina氏はInterBase Worldで、毎週のようにインタビューやレビューを更新されているのですが、このインタビューは、技術的なことやビジネスに関することだけでなく、各ゲストの人となりがよく現れていて、私はいつも楽しみにしています。


Marina Novikova:  学歴をお聞きしてもよろしいですか? また、これまで働いた中でどこが一番気に入っていましたか?

Jim Starkey: 私がコンピュータに関わり合うようになったのはちょうど高校生になった頃のことでした。地方の大学は政府から補助金をもらって、高校の生徒達にFORTRANを教えていたのです。一番最初にパンチカード(ググッてみてね)を打ったときは、曲がってしまったことを覚えています。最初に触れたコンピュータはIBMの7040だったのですが、とても大きな部屋を専有するくらいばかでかくて、そのくせメモリは全部で32Kバイトしかなかったのです。翌年私は15歳になったのですが、その時に最初のコンピュータ言語をデザインしました。その言語は機械語とアセンブラをまねしたものでした。それ以来ずっとコンピュータと関わり続けています。 私の学位は、実は純粋数学に関するものなんです。私の公式のコンピュータ・サイエンスに関するバックグラウンドは、たった一つの特別プロジェクトコース に関するものだけです。 私の最初の「本当」のコンピュータに関する仕事は、 インターネットの先駆けであるARPAnet のためのデータベースマシンを作り上げるためのプロジェクトに関する調査でした。それは、アメリカ・コンピュータ社( 7人の有名人による会社 ) で行われました。そこにいた間、Codd博士のリレーショナル・データベースに関する初期の論文に出会ったのです。リレーショナル・データベース理論は、ばかげたほどアカデミックな言葉によって論じられていましたが、いったんその姿を現すと、じつに純粋で、単純で、エレガントだということがよくわかりました。そんなわけで、コンピュータが最初に私にとりついて、2番目はリレーショナルデータベースだったというわけなんです。  私の第 二 の「本当」の仕事はDECでのものでした。DECはとても働きやすいところでした。それは、もうほとんど無政府状態といったほうがいいでしょうね。私は、 Datatrieve と呼ばれる非常に成功した製品を作り上げました。実はこれ、マネージャがばかげた政治的な策略のためにキャンセルしたんですが、それは何の意味も無かったんです。そこで私は次のような月次報告書を書き始めました「Problems:プロジェクトはキャンセルされた。これが元に戻せないのであれば、開発スケジュールに影響を及ぼすであろう」。やはり、それも何の役にも立ちませんでした。第 2 のバージョンは、予定どおりに出荷されました ( まだキャンセルされたままでしたが ) 。こんなにマネジメントが最善の努力をしているにもかかわらず成功する会社は賞賛に値しますよね。しかし、ゴードン・ベルが DEC を離れたので、私も辞める時がきたのを悟りました。

Marina Novikova: あなたは、非常に興味深いプロジェクト Netfrastructure にかかわってますね。こういえば当たっているのかわからないのですが、Netfrastructureは、 SMP に最適化された SQL ‐サーバで、Java サポートをビルド・インしたものなのでしょうか?

Jim Starkey: Netfrastructure の背景にある本質的アイデアは、コンテンツ、プレゼンテーション、それからロジックを分離することです。コンテンツは「コンテンツ・ストア」に存在しているのですが、それはJDBC に準拠したマルチユーザでSQL‐ベース、トランザクション‐ベースの「コンテンツ・ストア」なのです。我々はそれをデータベースとは呼んではいません、というのも私はデータベース・マーケットが大嫌いだからなのです。そういうわけで、それは「コンテンツ・ストア」なのです。コンテンツ・ストア、OK?プレゼンテーションは本当に気の利いたページ生成エンジンとJava仮想マシンに統合されたロジックによってハンドリングされています。全てのコンポーネントは共通のロール・ベースのセキュリティ・スキーマを共有しています。 データベース(えーと、コンテンツ・ストアね)のアーキテクチャーはInterbase/Firebirdとは根本的に異なるものです、それはコンピューティング・プラットフォームの根本的な変化を反映しているからです。私が最初のバージョンのInterbaseを設計してアポロ DN320に実装したとき、それは十分に速かったし、随分お金もかかったし、2メガバイトを使い切ったものでした。今では、地方の商店街で売っているような最も安価なマシンでさえ128MBのメモリを積んで、何百ドルかでギガバイトまで拡張することもできます。賢明な人でしたら、ギガバイトのメモリを2MBで利用するのと同じ使い方はしないでしょう。エンジンはシングルプロセスで、マルチ・スレッドに対応して、SMPに連動します。 Netfrastructureの別の側面で興味深いのは、アプリケーションのトポロジーが逆転するということです。アプリケーションはデータベース・エンジンの内部で実行されます。そう、あたかも巨大なストアド・プロシージャのようにね。JDBCメソッドの実行は半ダースの機械語なんだけど、実際にはスレッドスイッチ、コンテクスト・スイッチ、プロトコル・スタックを下っていって、プロトコル・スタックを上っていって、データベース・エンジンに対してサーバ・レイヤーから呼ばれ、検証されて、それから恐らく各ステップで引数が変換されて、そしてまた元に戻されているわけです。そんなわけで、我々は、 2、 3 ダースのナノセコンドと大体 10 ミリセカンドの間の差異について論じているんです。それは10の何乗にもになってしまう。どんなデータの移動に対してもこれは起きてしまう。それから、もちろんだけど、この仕事は徹底したセキュリティ環境の元で行われています。つまり、アプリケーション言語はサンドボックス の中で見事に動いて見せなくてはならないわけです、Javaである以上ね。そういうことで、自分でJava仮想マシンを書き上げてしまったのです。

Marina Novikova: みんなが言っていることですが、Netfrastructureを一から作り上げることで、あなたが元々 Interbase/Firebird で使われていて、もっとも理解しているマルチ・ジェネレーション・アーキテクチャのアイデアを実装するのを助けたのでしょうか。言い換えれば、あなたは、次世代の Firebird 開発者に対して、どうやって小さくて速いサーバーを作り上げればいいのかについて、わかりやすくデモンストレーションを行ったのでしょうか。私の言っていることは当たっているかしら?

Jim Starkey: 私は、マルチ・ジェネレーション・アーキテクチャのアイデアを実装するのを助けたわけではありません、確かに私はそれを発明しました。しかし、それは私が DECにいた時のことです。そうまだ私がInterbase を始める前のことです。DEC は、私と一緒にやろうとはしなかったので、結局自分自身でそれを作り上げました。 NetfrastructureとInterbase/Firebird の間の大きな違いは、 Netfrastructure がディスク上ではなくメモリ上でのマルチ・ジェネレーション であることなのですが、Interbase/Firebird はディスク上でジェネレーションを保持しています。この変更には 2 つの主な理由があります。一番目は、メモリが安くなって豊富に使えるようになったということ。二番目は、 Interbase は共有メモリを使わないクラスタ向けに設計されていたので、ディスクを使うしかなかったのです。そんなわけで、素晴らしいことに Netfrastructure は Firebird より最低でも 10 倍速くなったのですが、実は本当に重要なものは私がスイープについて説明する必要がなくなったことなのです。

Marina Novikova: そうすると、あなたの意見によれば、Interbase/Firebird のマルチ・ジェネレーション・アーキテクチャはサーバの開発上の妨げとなるのでしょうか?非常に多くの更新があった場合、ガーベッジ・コレクションは更に遅く予測できない状態になるということでしょうか。

Jim Starkey: とんでもない。あなたが InterBase/Firebird のディスク書込みの簡潔さをを伝統的なトランザクションログと比較するなら、マルチ・ジェネレーション は、簡単に勝つでしょう、それはディスクのオーバーヘッドがより少ないという統計で現れるでしょう。ブロックヘッドだけがボトル・ネックを作り出すでしょうが、 Interbase/Firebird は競合しているシステムと比べてより少ないブロックヘッドしか発生させません。

Marina Novikova: あなたは、 Java がデータベース・ウェブ・アプリケーション開発者にとって最も良い選択であると思いますか?

Jim Starkey: 絶対的で正統的なアーキテクチャがあるので、Java はすばらしい言語です、小さくてシンプル、そして堅固です。しかし、それが何にでも向いているかと言えばそうではありません。Javaは、アプリケーションの意味を表すためには非常に良いプログラミング言語です – 小さくて、シンプルで、優雅で、堅固。サンドボックス実行モデルは、アプリケーションコードが通常ふさわしくないとされる場所での実行を許します、データベース ( えーと、コンテンツ・ストアね ) システムの内部でのようなところでね。一方、 Java における文字列の扱いに関するパフォーマンスは悲惨なほどです、それからスレッド同期化のプリミティブな部分、2つ の状態を持つMUTEX も、哀れなほど遅いのです。Netfrastructure では、アプリケーション・ロジックのために Java を使用していますが、コンテンツ・マネジメントとページ生成に関してはC++を残しています、そのことは実装が物語っているんですが。

Marina Novikova: どうして、Interbase/Firebird のインデックスはユニ・ディレクショナルなのでしょう?またどうして、Interbase/Firebird のインデックスはバランスド・ツリーではなくて、シンプル・ツリーなのでしょうか ( 我々が利用可能なソースがある、現在のバージョンでも確認することができるのですが )? それは、 Interbase/Firebird アーキテクチャの制限によるものなのですか ?

Jim Starkey: それは全て1 つの個人的な見解に還元されます : 私は、チューニングが嫌いなんです。コンピュータやソフトウェアは、スマートであるべきだと思っています ( 最適化なんてことについて考えなくてもすむようにね ) 。 この問題は、クラスタ化インデックスと非クラスタ化インデックスの対立なのです。伝統的なデータベース・インプリメントは、インデックスページとデータベースページの間でインデックスが飛び跳ねて歩き回らなくてはなりません。開発者はそのことを非常に迅速に学んだのですが、このことはディスク・アクセスにとって大変悲観的な結果をもたらします。そのため、彼らはレコードの物理的オーダがインデックスオーダと一致するように、クラスタリングを発明したのです。しかしこのことはスペース管理の問題と、ページ・オーバーフロー、 書き戻しのストラテジー、最適化の問題、それから全般的な混乱状態へ陥らせました。データベースのユーザは、物理構造、論理構造、アクセスパス・ストラテジー、それからインデックス設計を計画しなければならなくなってしまいました。そして、それらが必然的に引き起こす悪い結果に対して、データベース開発者はユーザの設計が悪いと非難したわけです。 そんなわけで私は、代替インデックス技術を開発したんですが、 それはbtree を Datacomputerの 反転と結合したものです。全般的なアイデアは、非常にシンプルなものです。インデックスとデータページの間を渡り歩くよりむしろ、インデックスは最初にスキャンされて、スパース・ビット・ベクターにおいて選択されたレコードを示すビットをセットし、ビット・オーダーに従ってレコードを処理し、それはまたディスク上の物理的配置にしたがっているわけです。このことは、いくつかの大きな勝利の鍵を持っています。一番目は、全てのインデックスは、うまく取りまわされたクラスタ化インデックスのように動作します。二番目には、インデックスバケットは、 二相ロッキングに支配されません。三番目に、ブーリアン、つまり「AND」と「OR」に関する操作について、ビットマップを媒介として実質的にコストなしに実行可能となります、つまりオプティマイザーが代替インデックス間で選択をする必要性そのものを消去してしまうのです。 そんなわけで、それは全く問題とならないのです、つまり最低でもインデックスが昇順か降順かということについてはね。インデックスが最初にスキャンされ、それからレコードがその次にフェッチされます。あなたがレコードを並び替えたいと思うなら、物理的順番でレコードをフェッチしてそれを並び替えるこの方法は、ランダムアクセスと共にディスクアームを鳴らしてフェッチするよりも「いつでも」速いのです。そして更に多くのレコードが関連し、さらに多くのソートがあれば尚更です。 インデックスの中を渡り歩くことが意味をなす唯一の時間というのは、あなたが 何百万ものレコードの中で、最初のいくつかを問い合わせた時だけです。実際のところ、これはdBase エミュレーションをしていた間は、デフォルトで起こりうるケースでした。そんなわけで、我々は賢明にも、バイナリ・アクセス言語を付加し、こうしたケースを理解するオプティマイザを準備し、インデックスを渡り歩いているのです。 Interbase/Firebird は普通の btree ( 元々バランスがとれている ) です。私は、バケットを空にして再結合するためのコードを書きませんでした。なぜなら、データの統計が通常安定していて、従って、スペースは再使用されるであろうし、もっと他に私が行うべき多くの重要なことがあると思ったからなのです。いつかは、重要なことをやり尽くして、バケットの再結合に手をつけることになるだろうと、信じていますが。

Marina Novikova: Interbase/Firebird は、完全なリレーショナルDBMS ですよね? 結局のところ、Forced Writesオプションが有効でない時、各トランザクションはそれぞれのコミット後に必ずしもセーブされるとは限らないわけですが。ACID におけるD は、 Durability を意味しているので、トランザクションがコミットされるなら、それは小さなハードウェア・エラーの場合には失われないことが確実でなくてはなりません。Interbase/Firebird においてはForced Writes をしなければならないわけですが、しかし、これは、オペレーションのスピードを減少してしまいます。このことについて何かお話し頂けますか?

Jim Starkey: そうですね。Interbaseは、信頼性の高いディスクを持つ堅牢なオペレーティングシステム上で動くように設計されましたが、Unix では、これは、パフォーマンスと絶対的信頼性の間でのトレード・オフを意味しました。私は、トレード・オフが好きではないのですが、そこにはそれがあったわけです。シリアル・ライト・ログ は、トレード・オフをほとんど消去するでしょうが、クラシック・モデルにおいてはそれを実行することは不可能です。Netfrastructure は、シリアル・ライト・ログのためのアーキテクチャーになっています。しかし、バッテリバックアップを持つ Linux はこれまで決してクラッシュしたことがありませんので、私は自分のトロくさいインプリメントのおかげで、睡眠時間を削られずにすんでいます。

Marina Novikova: Interbase 6 のソースコードが公開された後で、多くの興味深いものがあることが分かりました、不幸にも実現することがなかったものですが、例えば、式に対するインデックス、 双方向のカーソル、 XNETや、その他のものです。どうして、それらの開発者がそのアイデアを完成しなかった、と思いますか? これは、アーキテクチャの制限によるものですか、あるいは時間が足りなかったとか、または他の何かの不足のためだったのでしょうか? それから、あなたは、 オープンソースのDBMS についてどうお考えですか? Linux は今上昇傾向にありますが、オープンなデータベースは今後、DBMS マーケットのかなりの部分を占めると思いますか ?

Jim Starkey: オープンソースプロジェクトのアキレス腱は、意思決定の方法にあると思います。コンセンサスに最も依存しているのですが、革新に関するコンセンサスは、とてもとても難しい。そんなわけで、オープンソースプロジェクトは、標準化へ向かう傾向があると思っています。Linux は、良くも悪くも、Posix と Unix に基礎を置いている。OK 、それらは20 年間の間に陳腐化してきたものだが、ふーむ、たしかにうまく動いています。一方、 SQL はテーマではあっても標準化されていません。現実の標準は、あらゆる目的に対してほとんど役に立たないもので、インタオペラビリティに沿って作成されたものにすぎないのです。確かなことは、プロジェクトを組織化するために必要なものは何もないということなのです。 データベース ( とコンテンツ・ストアね ) システムが扱うべき重要で、興味深い問題は山積みです。例えば、ウェブの基礎は検索です。どのようなデータベースシステムが、オープン・コンテクスト検索をサポートしているでしょうか? 私が知る限り、一つだけです。どのようなデータベースが、ユーザープロファイルに基づくデータを自動的にフィルタリングするでしょうか? 私が知る限り、一つだけです、それはコンテンツ・ストアと呼ばれています。 Firebirdの連中は、セキュリティ・ホールをふさぎ、システムを安定させ、バグを修正し、問題点を取り除く良い仕事をしてきました。そのシステムは、うまくマイナーチェンジすることを必要としていて、いまではそれは一つの答えを持っています。しかし、私はそういったことによって、データベース・テクノロジーにおける世界的リーダーとしての Interbase の伝統的な役割が取り戻せるとは思いません。Interbase/Firebirdは異種接続性、 二相コミット、カスケーディング・トリガ、ユーザー定義関数、イベント・アラータ、BLOBフィルタ、配列サポート、 双方向のマルチベンダーゲートウェイ等を持つ最初のデータベースでした。しかしその後、私はオープンソースプロジェクトが革新を促しているのを全く見ていないのです。 私はこれが少し難しいことだということを知っていますが、私はオープンソースプロジェクトとしての Interbase を決して開発することはないでしょう 。私は政治家ではなく技術者です。私は、自分が急進的な新しいデータベースアーキテクチャに関してコンセンサスを作らなかったということを強く確信しています。私は革新を信じ、そして革新は、一貫したビジョンを必要としています。私はオープンソースの中でそうしたビジョンを見たことがありません。しかし、私はこれだけは知っています。Firebird がクラシックとスーパー‐サーバのコードベースを分離しない限り、どちらも、どこへ行くことも出来ないでしょう。それぞれが、他方の開発を抑制してしまっているからです。

Marina Novikova: あなたは、そうした多くの発明に満足していますか? Netfrastructure ではあなたの夢やアイデアを実現したわけですが、Interbaseと Firebird の開発をどのように評価していますか? あなたがFirebirdの発展を見ることは興味深いことで、喜ばしいと思っていらっしゃるのでしょうか?例えば、アーキテクチャの変更のような重要な改善、メインバグの修正、 DSQL の拡張、パフォーマンスの改善等々ですが。

Jim Starkey: 私は、一群の発明をしてきましたが、それら全てを愛しています。VAX Datatrieve は、 VAX を離れて存続し、オラクルの爪から逃れ、 DECを離れて存続し、コンパックを離れて存続し、そしてHPの製品としてまだ生き続けています。私はVAX Datatrieveを気に入っています。それから、私にはとんとわかりませんが、どういうわけか PDP-11 のDatatrieve は、同じくまだ利用可能です。私はそのこと自体にとても驚いています。開発者が Firebird の様々な部分の周辺に腕を伸ばすのを見ることは、興味深いことですが、私は、誰かがFirebirdと共に走り出すのを待ち続けています。おそらく、誰かがそうするでしょうね。私が Firebird に活発にかかわっていたなら、自分がしただろうと考えているのは以下のような事です :1. シャム双生児となっているクラシックとスーパーサーバを分割すること、それによってそれぞれが生きながらえることが出来る。2. SQL をふさわしいエンジンに移動する間、レガシー・インタフェースとして BLR を維持すること。DSQL を捨てること。3. 2 レベルのネーム・スペースを導入すること4. スーパーサーバに対する知的に防御できる、有効なセキュリティを実装すること5. トリガ、ストアド・プロシージャ及びUDF のために Java バーチャル Machine を埋め込むこと6. スーパー‐サーバのためにシリアル・ライト・ログを実装すること ;書込みに注意を払わなくてもいいように

Marina Novikova: あなたは、オリジナルの Interbase アーキテクチャにおけるいくつかのあなたのアイデアが次の開発者によって不正確に理解され、もしくは誤って実現されていると思いますか?

Jim Starkey: どちらもないですね。アイデアもアーキテクチャも、最初から十年間にわたって利用可能なプラットフォームに完璧に適合していました。私が別のデータベースシステムを作らなければならなかったのでしたら、アポロ DN320 のために、マルチ・レベルなネーム・スペースを持つネイティブなSQLを作ったでしょうね、でも、他のものほとんど同じになったでしょう。 私が現代のマシン上ですべてをやり直さなければならないのであれば、再びすべての点で Netfrastructure を書くことになるでしょうね。しかしその時は、システムテーブルをケース・インセンシティブにするでしょう。それから、インデックスキーに関するアンの言うことを聞かないといけないですね。

Marina Novikova: Interbase/Firebird/Yaffilのコミュニティ全体に対して、望んでいることがあればお聞かせ下さい。

Jim Starkey: 過去から学びなさい。将来のために設計しなさい。もはや1984 年ではないのです。それにふさわしい扱いをしましょう。


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Interview with Paul Beach on InterBase World

Interview with Paul Beach
2003 / 1 / 31
2004 / 1 / 1 翻訳版 DelphiマガジンVol.32 掲載
Written by Marina Novikova
on InterBase World (URL http://www.interbase-world.com/)
翻訳:林 務(株式会社アペックス)

 本インタビューは、InterBase World のWebサイトでMarina Novikova氏によって公開されたものを、Marina氏とPaul氏の許可によって翻訳したものです。
 Paul Beach氏はボーランドでInterBase部門のマネージャーをやっておられました。2000年にボーランドがInterBaseをオープンソースとする直前に、経営陣と対立して辞職し、その後Ann Harrison氏とIBPhoenix社を立ち上げFirebirdプロジェクトを支援しています。
 Marina Novikova氏はロシアの企業で英文翻訳とテクニカル・ライターをするかたわら、InterBase Worldの管理者をなさっています。Marina氏はInterBase Worldで、毎週のようにインタビューやレビューを更新されているのですが、このインタビューは、技術的なことやビジネスに関することだけでなく、各ゲストの人となりがよく現れていて、私はいつも楽しみにしています。


Marina Novikova: まず、ご自身のことをお話下さい。趣味は何ですか、音楽はどんなものをお聞きになりますか、お気に入りの本(あるいは作家)はどんなものですか?

Paul Beach: 私が仕事以外で時間を一番割いているのは多分ガーデニングでしょうね。UKでは「アロットメント」と呼ばれているちょっとした家庭菜園をみんなが持っていて、19世紀に遡るんだけど、政府が家庭菜園割当法を制定したので、十分な大きさの庭を持っていなかった地方の人々に土地を割り当てて( そのために必要なだけの土地があったばあいだけどね ) 野菜を育てることを奨励したんですよ。私と妻は、現在 2 つの家庭菜園を運営していてよく育っています、自分たちで食べる分の全てをまかなうほどではないですけどね。 アスパラガス から ズッキーニまで、それからストロベリーやラズベリーなどの柔らかい果物なんかを作っています 。一般的に冬の間はやることがあまりないんだけど、それは春になって成長の季節がくるとめちゃめちゃ忙しくなるからなのかもしれないね。この話が退屈だったら、私は速い車が好きだって事を話そうかな。最近、TVR Chimarea 5.0のオーナーになったんだよね (http:/www.tvr-eng.co.uk を見てね。ただし、最近サイトが再構築されて、とーーーっても遅くなってしまったんだけど)
 音楽に関しては、私はパンク世代なんで、私の 10 代の頃はパンクを聞いて、それからバンドを見に行って過ごしたんだ、クラッシュ 、ジャム、 スティッフ・リトル・フィンガーズ メンバーズ、 ジョイ・ディビジョン、 ラモーンズ等々、今でも聞いてるよ。それからもっと最近の音楽に関しては、レディオヘッド、プラシーボなんかのインディーズ・バンドを聞いてるよ。
 本に関しては、私の学位は英文学なので、とってもたくさんの本を何年もの間に読んだよ、しかし、お気に入りは、パトリック・オブライエン 、フランク・ハーバート、 ウィルフレッド・オーエン、 バルザック、 ウィリアム・ゴールディング、アイザック・アシモフ、シェークスピア、ジョン・ドン、及び、トーマス・ハーディなんかだね ( 別になんでもありってわけじゃないんだけどね)。

Marina Novikova: ビールは飲みますか?もしそうなら、どんなのがお好きですか?

Paul Beach: 私は、元々は英国北部の出身なのですが、今は南部に住んでいます。ご存じない方も多いと思いますが、南部で出されるビールは北部とは全然違うんですよ (ちょっとした南北分断だね) 。私はもう何年も南部で生活しているますが、まだ南部のビールに慣れないんで、そのため私は主に白ワイン ( new world sauvignon blanc ) で押し通しています。にもかかわらず、両親に会うために北部に戻ったりするときは、地元のパブにふらりと立ち寄るのが大好きなんです。私は、英国のビターの全てを原料として、TetleyビールがLeedsで醸造された時のことに想いを至らせたりするんです。それからTheakstonビールもお気に入りなんですよ。

Marina Novikova: 今までもらった中で一番おかしかった(あるいは変な)プレゼントは何ですか?

Paul Beach: 私の妻によって地方の病院から救助された 2 匹の白黒の子猫。そいつらは元々野良猫だったので、とっても危険だった。爪と牙がすごくてね。そいつらは 6 ヶ月もかからずにソファーを木片に戻してしまったんだ、しかし、それ以来ずっと私たちは家で猫を飼っているんですよ。

Marina Novikova: 人生の中で、もっともエキサイティングだった日とか、最もすばらしい瞬間とかを覚えてらっしゃいますか?

Paul Beach: おそらく、私が大学でガールフレンドとよりを戻したときだろうね、我々は6 ヶ月位の間別れていたんだけど、私は彼女が私とのことを考え直してくれるといいなあと思っていた。彼女は考え直してくれて、彼女は今私の妻になっていて、そして、私たちはもう 21 年間以上いっしょにいるんだ。

Marina Novikova: どんなことが嫌いですか?人々がどんなことをするとイライラしますか?

Paul Beach: アイロンかけ ? こう言えば十分。感謝されない仕事。それから、他の人々については ? 何かをすると約束しながら、結局それをやらない人 。

Marina Novikova: 自由に使える時間がいくらかでもあったら、どんな風に使いたいですか?

Paul Beach: 家庭菜園だね。

Marina Novikova: 大きな夢というのは何かありますか?

Paul Beach: 激しい無意味な競争から抜け出すために十分なだけ稼いで、そして、どこか静かなところでちょっとした土地と小自作農地 ( 小さな農場 ) を買いたいですね。

Marina Novikova: Ann Harrisonは比較文学の学士号を持っていると言っていましたが、あなたの学歴をお聞きしてもいいですか?また、どうしてハイテク分野で仕事をしようと思ったのですか?

Paul Beach: 私は、 ノッテインガム大学で英文学の学士号を取りました。私がハイテクに関わるようになったのは本当に偶然で、私が大学を卒業したとき、私は、ジャーナリストになるつもりだったんですよ。しかし、80 年代初期にこの仕事はなかなか見つからなかった。それで私の友人が「システム アシスタント」の仕事を持ってきたんだ、その会社は新しい会計システムを製作していました( 「システムアシスタント」は雑用係ってところだね)。 私は、結局UKで初めての DEC VAX 11/750 のうちの一つで仕事をすることになって、DEC のプロフェッショナルになったんだ。私はそれがとても楽しかったので、夢中になってしまって、後ろを振り返ったりはしなかったね。

Marina Novikova: いつから、また、どうして、あなたは、 Borland で働き始めた (あるいは Borland を辞める前に、元々の ISC における仕事を始めた)のですか?

Paul Beach: 私は元々のISCで働いたことは無いですが、Cgnos社によってInterBaseに関わるようになったんです。Cognosは何年間にもわたって製品の代理店をしていました。Cognos社で私はリレーショナル・データベーステクノロジーの上級コンサルタントをしていました。
 BorlandはCognos社から私を雇い入れたんだけど、ちょうどヨーロッパのサポート部隊を組織するためにアシュトン・テイト社を獲得した直後だったんだな。その部隊はヨーロッパのInterBaseの顧客の面倒をみることになっていたんです。1995年の初頭に彼らは私を窓際に追いやって、その6ヶ月後に雇い直したんですよ。私は2000年1月に辞職するまでボーランドにとどまって、様々な管理的な地位を経験しましたんですが、私がボーランドにいた間、上位の経営陣が何をしているのか全くわからないことが何度もありました。

Marina Novikova: その時には、どんな職務があなたに与えられたのですか?

Paul Beach: ふー ? Borlandで私は多くのことをしましたが、ヨーロッパでのInterBase向けのサポートの面倒を見ることから始まって、それから世界規模でのInterBaseのビジネスの再構築をやり、製品マネジメントとマーケティングをやって、立ち上がったばかりのInterBase部門を運営して・・・。私はボーランドでの仕事は大体楽しかったと思っています、とてもダイナミックなところで時を過ごしたと思っているし、いつもテクノロジーの刃の上に立っていたわけだからね。それに、私はとても多くのことを学んだんです、特にボーランドで働いている少数だけどとてもクレバーな人々から、また間接的にボーランドに関わっている人々からね。

Marina Novikova: 自分の人生を3語で表すとしたらどうします?

Paul Beach: 分裂気質(かたぎ)。

Marina Novikova: これまでに百万遍も聞かれたことだと思うんですが、お聞きします、どうしてボーランドを辞めたのですか?チームを離れたとき、ボーランドがソースコードを公開すると思っていましたか?

Paul Beach: InterBaseの歴史の中で、Del Yokamが担当していた期間があり、InterBase はボーランドとは別の子会社として一度存在したことがあった。私たちは多くのファンをその時も持っていたし、とても一生懸命仕事をしたので、私たちは少なくとも自分たちの運命について責任を取らなくちゃならなかったんです。Yokmanが私たちを飲み込むことを決定したので、多くの仲間が辞めることに決めたんだけれど、まあ全員というわけではなかった。幾人かの居残った人間が、どうにか残っているチームをまとめて製品を前へ進めようとしていたんだ。
 1999年初頭のある時点で、新しいInterBase部門のゼネラルマネージャになることを求められたんだ、ボーランドはDale Fullerの下でなんとか落ち着こうとしていたときだった。しかし2000年の1月になって、私はとても難しいポジションに立たされたんだ。それはDale Fullerにとても出来そうにない事をやるよう求められたからだったんだが、彼はまた私たちとの間で結ばれた約束を果たさなかったのさ。私は(ボーランドが彼らを放り出したにもかかわらず)InterBaseを支持しているInterBase部門の社員に対して、自分が辞職するその時までは責任があると感じていたのだけど、それからほとんどのInterBase経営チームの他のメンバーが辞職して、それからサポートスタッフが辞職して、それからほとんどの技術者が辞職して・・・。これについては確かに同情すべき点があったと思うよ。
 私たちのほとんどがいなくなってしまう前に、幾人かがInterBaseをオープンソースにしてはどうかという提案をしていたんだ。Red HatがちょうどIPOを成し遂げたときで、Daleはその考えを気に入って、もっと詳細に調査することを決定した。この調査の一部として、私はDaleにAnnと一緒にInterBaseをオープンソース製品として扱う新会社の設立を進めることを聞かされたんだ。

Marina Novikova: InterBaseロードマップを見ていると(http://www.cvalde.com/IbRoadmap.htm) あなたはAnn Harrisonと一緒にIBPhoenixの基礎を構築しましたね。現在の職責はどうなっていますか?何か他のことをしたいと思っていますか?

Paul Beach: Annと私は今でもIBPhoenixを運営しています、そして会社はゆっくりとですが成長し続けています、私たちはいまこの数年間の間出来なかったことを出来るようになっています、特にFirebirdを育てるためのサポートと支援に関してですが。私はまたJim StarkeyとNetfrastructureの仕事をこつこつとやっています、それから製品の市場を開拓したりとかいろいろと、ね。

Marina Novikova: 3語で今の生活を表すとしたらどうなりますか?

Paul Beach: 熱狂的。一言で済むときに3語をどうやって使えばいいか勉強するように言ってくれてもいいですよ。:-)

Marina Novikova: InterBase は、ポピュラーな RDBMS であり、そして、 ボーランドは、世界中で何百万ものコピーを販売しています。なぜ、いまだに InterBase の英語の本がないのでしょうか ?

Paul Beach: 私が学者ぶっていうことじゃないんですが、ボーランドは実際には数百万も売っていません、おそらく、 1 年に数十万で決して数百万にはならないですね。
 種まき戦略として、多数の InterBase サーバが開発ツールによってタダで配られたことを思い起こして下さい。これは、おそらくここ数年の間 InterBase に起こったことでは一番いいことだったんじゃないかな。たとえ、それが偶然に起こったことだとしても・・・。それから、こういうことはよくあることなんだけど、今日の販売数はとっても疑わしいと思ってるね。特に、ユーザーと開発者には今では選択肢があるのだから。
 私はどうして英語の本がないかを知らないんだけど、おそらく Bill Karwin と私が本を書く余裕を見つけることが出来なかったからじゃないのかな。

Marina Novikova: InterBase7はMSSQLの価格と比較してみると、ちょっと高いように思います。TPCテストによればInterBaseはMSSQLより性能で劣っているんですが、このIBの価格体系についてお話ししてもらうことは出来ますか?IBの独特の適用範囲や、マネージャーの思考の停滞、あるいはマーケティングのトリックである「高いことはいいことだ」などによって、それを説明することは可能でしょうか?

Paul Beach: 最初に言っておかなくてはなりませんが、TPCテストはパフォーマンスの指標としては全く役に立ちません。TPCテストは大体にして現実の世界で実際に書かれているアプリケーションを反映していません。ベンチマークは常に実際にあなたが使っているアプリケーションで行わなくてはなりません、TPCの数字ではなくてね。
 InterBaseの現在のマーケティングと価格設定のポリシーはそれがオープンソースとなる前と比べてあまり変わっていないようです。外部の人間の視点から見ると、InterBaseがオープンソースになる前を見ていたとしたら、いま見ているものと同じです。ほとんど何も変わっていない。ボーランドの視点から見ると、あたかもInterBaseはオープンソースになっていないかのようで、例えていうと、何も起こっていないとでもいうか。でもそれは確かに起こって・・・、Firebirdがその証拠として生き続けているんです。

Marina Novikova: InterBaseを生業としている開発者にはどうしてこんなに仕事が少ないのでしょうか?例えばwww.job.comで探してみるとまったく見つかりません。このことをどうお考えですか?

Paul Beach: 何年にもわたってInterBaseを含む仕事の広告は増えてきています。あなたが InterBase について調べたのであれば、何も見つけられなかっただろうと、私は思いますよ。そういうやり方はいまでは正しくないからね。データベース開発者向けの大部分の広告は、通常は特定のデータベースに言及しないで、SQLのスキルを求めているんです。技術的によく熟練していることとSQLのスキルを持っていれば誰でも、 InterBase を使うことができるでしょう ( それらの人々が MS SQL、 Sybase 、オラクル、または、他のリレーショナルデータベース .. を使うことができるのと同様にね )

Marina Novikova: とても多くのロシアの開発者がFirebirdプロジェクトに参加して、開発に影響を与えているという事実について、どうお考えですか?

Paul Beach: 素晴らしいことだと思っていますよ、ロシアは何度も訪れましたし、ロシアでのカンファレンスで何度か話もしました。ロシアに行った時、大勢のロシアの開発者と会って、彼らはとても良い質問をする人々だったと思ったし、技術的に有能でしたね。

Marina Novikova: よく言われることだけどInterBaseはエイブラムスの戦車にインストールされているそうです。この情報を確認できますか?懐疑論者は弾道計算のために戦車にDBMSをインストールする必要は無いと言っています。でもこれが事実だとすると、何のために必要なんでしょう?

Paul Beach: 「マーケティング」話へようこそ、この話は何年もの間ちょっと手に負えないものになっていたね。何年も前に(記憶に頼って言っているんだけど)、InterBaseは米国陸軍向けの新型火器管制システム(AFTADS)を構築しているMagnavox社という会社とVAR契約を結んだんだ。そのシステムは、予測された標的を狙って射撃するように火器 ( 戦車を含む ) を制御するための中央射撃管制システムだった。InterBase は、このシステムのためのデータベースに選ばれたんだよ。なぜなら、砲弾が火を付けられたとき、局所的に火器管制システムを管理するサーバがクラッシュするかもしれないからなんだ。InterBase は、Magnavox社がテストした唯一のデータベースだった、それは自動的に回復して数秒でオンラインになるだろうとされていた。本当にこのシステムが実装されたのかどうかを私は知らないんだけど。しかし、あなたが言うように、それはInterBaseにとってとてもいい話だということになっている 。

Marina Novikova: InterBase Worldのコミュニティに一言何かお願いします。

Paul Beach: 長く続けて成功しましょう。


旧Firebird日本ユーザー会サイトから移行した過去記事です。内容は当時の記録です。記事内のリンクなどはリンク切れなどにご注意ください。

過去記事掲載時URL(閉鎖予定):http://tech.firebird.gr.jp/firebird/site_rsrc/images/92/interview_paul_beach.html

Interview with Dmitry Yemanov on InterBase World

Interview with Dmitry Yemanov
2003 / 3 / 10
2003 / 11 / 1 翻訳版 DelphiマガジンVol.31 掲載
Written by Marina Novikova
on InterBase World (URL http://www.interbase-world.com/)
翻訳:林 務(株式会社アペックス)

 本インタビューは、InterBase World のWebサイトでMarina Novikova氏によって公開されたものを、Marina氏とDmitry氏の許可によって翻訳したものです。
 Dmitry Yemanov氏はFirebird 1.5のリリース・マネージャーとして、そのコードのほとんどを書いています。CからC++へのポーティングと、新機能の追加など多方面にわたってその才能を遺憾なく発揮して、プロジェクトを牽引しています。
 Marina Novikova氏はロシアの企業で英文翻訳とテクニカル・ライターをするかたわら、InterBase Worldの管理者をなさっています。Marina氏はInterBase Worldで、毎週のようにインタビューやレビューを更新されているのですが、このインタビューは、技術的なことやビジネスに関することだけでなく、各ゲストの人となりがよく現れていて、私はいつも楽しみにしています。


Marina Novikova: 最初に、Dmitry Yemanovとはどんな人物か、InterBase Worldのコミュニティに話してくれるかな?

Dmitry Yemanov: そうだね、彼は陽気な25歳のヤングマンで、ちょっとした悪質な癖があるんだ。彼の人生は、これ全てプログラミング、その他のコンピューター関係ですら余計な時間を使う余裕もなかったりしてね。

Marina Novikova: 君がヘッドフォンをかけて騒々しい音楽を聴くことや、水曜日にロシア式スチームバス(banja)に行くこと、それに短い年次休暇にハイキングに行くのが好きだって知ってるわよ。どんな音楽が好みなのかしら?ハイキングで気に入ったルートはどこ?それから、どんなタイプのヴェニク(葉っぱの付いた小枝)をスチームバスに吊すのが一番お気に入りなのかな? Dmitry Yemanov

Dmitry Yemanov: 最初に言うと、別にうるさい音楽だけが好きなわけじゃないし、ヘッドフォンで聞くことだけが好きなわけじゃないよ。いいアンプとスピーカーを持っているんだったら、グッドなロックが最高だよ。うーん、でも僕の同僚達はどうやら僕の音楽の趣味を気に入ってくれていないようなんだ。そんなわけで、ヘッドフォンを使っているのさ。こう言えば、僕がどんな音楽が好きなのかはわかっちゃうとは思うけどね。ただ、僕のお気に入りのバンドは数え切れないくらいあるからね。頭から言うと(順番は適当ね)、キングクリムゾン、ピンクフロイド、ブラックサバス、RHCP、O’Funk’illo、ナイトウィッシュ、アポカリプティカ、ジョー・サトリアニ、それから誰でも知ってると思うけどレディオヘッドだね。
スチームバスについて言うと、あなたの言っていることは正解、僕はあれが大好きだね。もう、何年も前から定期的に通っているよ。時間が全然ないときもあるんだけどね。ヴェニクのタイプについては、樺材がいいと思うな(自分で作るならこれがいいね)。時々は、オークやジュニパーのヴェニクも利用するよ。Banjaは心と体の疲れを癒してくれるね、それに最近は仕事の後の精神的、肉体的な緊張をリラックスさせてくれる。
ハイキングについて言うと、ずっと前からハイキングのファンなんだよ。今は全然時間を取ることが出来ないのが残念なんだけど、表向きは、僕はハイキングが大好きということになってるんだよ。僕は未踏の荒野を旅するのがとっても好きなんだ。何キロも何キロも歩いて、ボートで、カヌーで踏破してきたよ。二年前には、夢がかなって、西コーカサスの山岳へ行くことが出来て、征服してきたんだ。その感じを話すのは難しいなぁ、一度行ってみてほしいな。だけど、僕はちょっと太ってきちゃったし、体を全然使って仕事をしてないので、今行けと言われてもきついかもなあ。でも、いいフィットネスとしてこれをすすめたいなぁ、なにしろ僕は2週間で7キログラムもやせたんだから。その頃の僕は肉体的に健康だったし、清く正しい生活を送っていたんだよね。特に好きなルートっていうのはないし、持ちたいとも思わないな、なにしろ僕は新しいもの全てから受ける印象を楽しみたいからね。

Marina Novikova: 他に、なにか趣味はあるのかな?

Dmitry Yemanov: 読書だろうね。いつでも読書することが好きで、よく本を読んでるよ。好きなものはフィクション(クリフォード・シマック、ロバート・ハインライン、アラン・フォスター、ロシアの作家としては、古いものでバシリー・ゴロバチェフ、サージェィ・ルキヤネンコのいくつか)、ファンタジー(ロジャー・ゼラズニィ、トールキン)、旅行記や歴史のドキュメンタリー小説(特に古代に関するもの)だね。

Marina Novikova: 好きなビールの銘柄は?他にどんなお酒が好きかな?

Dmitry Yemanov: ライト・ラガーが好きだね。例えば(また適当に挙げるけど)、ラクプレシス、ネフスコー、オボロン、バドワイザー、スタロプラメン。時々、黒ビールも飲むね。それから、他に選択肢がなければだけど、ペンザビールでもOKだね。 僕はラトビアで生まれたので、ビールは国民的飲料だったんだ(とはいってもチェコ共和国やババリア地方ほどじゃないけどね)、この愛着は生まれつきなのかもしれないね。
他に好きなアルコール飲料で言うと、ジョージアン赤ワインで、ソフトドリンクについて言うと、ミルクシェークとフレッシュ・ジュースが好きだな。

Marina Novikova: いやだなあと思うことと、他の人にいらいらすることはどんなこと?

Dmitry Yemanov: 相手が嫌いだと思っても、しなくちゃならないことってたくさんあるでしょ。どれか一つに決めるというのは難しいなぁ。そうだ、一つはっきりしてること、金を借りるのは大嫌いだね。それから、人々が二枚舌を使ったり不誠実だったりするといやな気持ちになるね。

Marina Novikova: 大きな夢っていうのはなにかある?

Dmitry Yemanov: うーん、一つだけ?わからないなぁ。僕は人生の全ての喜びと困難を経験して生きていきたいと思っているんだ。遠い先を見ることは好きじゃないんだ、先のことばかり考えていると幸運が逃げちゃうからね。
Firebirdについて言うと、多くの人がこのサーバーに興味を持ってほしいと思うし、もっと広めたいと思う。オープンソースの製品の間でさえ、本当にいい製品はそんなには多くないから、Firebirdは大穴だと思うよ。Firebirdの将来についての夢というのはなんとも言えなくて、僕らはただ仕事を進めるのみだね。それに、それ自体僕らに多くを負っているからね。

Marina Novikova: 料理はするの?一番好きな食べ物はなにかな?

Dmitry Yemanov: 料理はそんなにはしないなぁ、でも料理の腕を上げたいとは思ってる。ただ時間が全然ないんだよね。外食するときは、カツレツと野菜とかスモークした魚を頼むね。それとビールね、忘れちゃいけないよ。

Marina Novikova: 通りで女の子にウィンクされたりしたら、どうするー?

Dmitry Yemanov: 少なくとも、ウィンクし返すね。そこから先は、彼女にどんな印象を受けたかによるなぁ。

Marina Novikova: 学歴はどうだったかな?職歴も聞いていい?

Dmitry Yemanov: ペンザ州立大学でコンピューター・エンジニアリングの学位を取ったんだ、それから長いことコンピューターに関わってきた。その頃から、国防省向けの専用システム用のプログラムから、地方市場向けのERPシステムまでを企画・開発してきたんだ。

Marina Novikova: 最初に書いたプログラムはどんなものだった?いつ頃からプログラミングを始めたの?

Dmitry Yemanov: たぶん、大学で暗号化/復号化プログラムを書いたのが最初だね。僕は、暗号化に利用される有限要素法に興味があったので、かなり勉強したんだ。そのために、アセンブラでユーティリティを書いたよ。そのちょっと後で、アンチノイズ暗号化に興味を持つようになって(同じように数学理論に基礎を置いてるものだね)、別のプログラムをCで書いたんだ。僕はそういったプログラムを研究目的で書いたんだけど、思った以上にプロフェッショナルな出来だったね。
僕が初めて本格的な結果を出したのは、ネット越しに機能するオブジェクトを転送するために、DCOMテクノロジーに対して暴虐(この厄介なハックと非公式の機能について他にいい言葉が見つからない)を働いたことだね。僕はそれをモバイル・オブジェクト・テクノロジーと呼んだんだけど、作ったものは動作中のCOMオブジェクト(コードとデータの両方)をネットワークノード間でクライアントに対して透過的に移動することを可能にするメカニズムだったんだ(例:クライアントと対話中のサーバーを、それと感知されないまま別のノードへと移すことが出来る)。これによって、ダイナミックな設定と異なったプログラム・エージェントによる分散システムを構築することが出来るようになるんだ。

Marina Novikova: Firebirdプロジェクトに参加したのはいつ頃から?最初の頃に手助けしてくれた人は誰かな?

Dmitry Yemanov: その話は長くなっちゃうんだよなぁ。最初は、僕はFirebirdを使っていただけなんだけど、それがなかったら開発に参加することにはならなかっただろうね・・・。
1999年に僕らは新しい製品の開発のために安いRDBMSを必要としていたんだ。要件の一つはローカルでのシングル・ユーザアクセスではフリーでなければならなかった。僕は、経営陣がInterBaseがその条件にぴったりだと考えていたかどうかはわからない。まあ、そんな些細なことは誰も気にしてなかった。結果としては、僕がこのことを知ったのは開発の最終段階になってからで、プロジェクトはもはや崩壊寸前だったんだ。僕らはいろんな方法について議論を重ねて、そのどれもが最低でもプロジェクトのデッドラインを2ヶ月かそれ以上越えてしまうということがわかったんだ。ちょうどその時に、ボーランドがIB6.0Betaのソースコードを公開したんだ(ちょうど僕らのプロジェクトはこのバージョンを採用していた)。僕らにとってはたった一つのチャンスだった。この直後から僕は全てのInterBaseに関するイベント、Firebirdプロジェクトの開発、開発者の移りかわりなどをきっちりとウォッチしはじめたんだ。僕はこのことを「強制された依存関係」と呼んだんだ。
そんな訳で、僕は自然とコードに興味を持つようになって、そこかしこで変更したり追加したりしたいなあと思うようになったんだ。僕はほとんど1年間にわたってコードをいじり倒して、firebird-develから有益な情報全てを学んだんだ。その時には、Dmitry Kuzmenkoが唯一のロシア人だった。一度全部に目を通したので、自分でもいろいろと出来るようになって、初めてのパッチをリリースしたんだ。それが始まりだったんだね。Cluaudio氏とMark氏、Ann氏にはとても感謝しているよ、出来の悪いコードだったのにとても暖かく迎えてくれたからね。これは本当に簡単な事じゃないと思うんだよ、どこへ行っても、いつでも新しいことに対してはみんな保守的だったからね。Claudioのアドバイスで、Alexander Peshkovに紹介されてdynamic SQLの最初のバージョンのサポートを手伝うことになったんだ(こいつは今ではEXECUTE STATEMENTとして知られているね)。幸運にも、僕らがやろうとしていたことは全てうまくいって、チームの中でのどうあるべきかについて侃々諤々(かんかんがくがく)の議論の結果が出たんだよね。

Marina Novikova: Firebird Foundationからの助成を受け取るというニュースについては、どうやって知ったのかな?

Dmitry Yemanov: FFについては知っていたし、その一番重要な仕事と目的についてはよく知っていたので、僕にとっては「ニュース」とは呼べなかったね。

Marina Novikova: これまでにどこか外国へ行ったことはある?

Dmitry Yemanov: いや、外国へは行ったことはないなぁ。以前のソビエト連邦共和国を別にするなら、トルコだけがそのうちリストに入るんじゃないかな。そのうちたくさん旅行をしたいなぁ。

Marina Novikova: Firebird Foundationのメンバーで会ったことのある人は誰と誰かな?

Dmitry Yemanov: おかしな話なんだけど、誰とも会ってないんだ。 僕はインターネットを通して仕事をしているだけなので、これってインターネットの悪い点だよね。出来れば、ヨーロッパのFirebirdカンファレンスに行って、みんなと会ってみたいなぁ。

Marina Novikova: カンファレンスには参加するの?カンファレンスには何を期待する?どんな報告に一番興味がある?

Dmitry Yemanov: もちろん、このカンファレンスには絶対参加したいよね。でも、まだ参加できるかどうかわからないんだ(「お仕事」の方の状況によりけりなんだよね)、でも万難を排して参加するつもりだよ。カンファレンスに期待することはたった一つ、2年以上にわたって知り合ってきた人々と、コミュニケーションを持つ機会だってことだね。それから、参加者に僕らのFB1.5の結果を報告して、今後のプランを話す絶好の機会だよね。

Marina Novikova: あなたの考えでは、現在のプロジェクトの中で何が一番難しい問題だと思う?

Dmitry Yemanov: 開発者として言えば、僕はバージョン2.0~3.0の開発に対処しなくちゃならないだろうね。新しいODSはたくさんの変更が必要で、セキュリティを一新し、SSとCSの対立という問題を解決し、C++へのコードの移植を続けて、それ以外にもまだまだたくさん解決しなくちゃいけない問題があるんだ。プロジェクトの全てのモジュール上で作業して、人目に付かないところを全部手を入れて、ということはとっても大変なんだ。
プロジェクトの管理者としては、開発者としての希望や興味とプロジェクトの開発ロードマップとの間での妥協点を見つけなくちゃならない、開発のプロセスがアナーキーにならないようにしつつ、コード・ベースが混乱しないようにして、開発期間をきちんと管理していかないといけないよね。

Marina Novikova: プロジェクトの中で、あなたの最大の業績はなんになるのかな?それから人生においてはどう?

Dmitry Yemanov: 僕は、昨年の春に最初のリリース後にプロジェクトが沈滞してしまうのを防いだんだけど、それがそうかな。その時は、John Bellardoと僕だけがコード上での作業をしていて、新しいコード・ベース(firebird2)はまだ不安定でたくさんのバグがあったんだ。それらを修正することは大変困難で、同時に新機能を追加していたからなおさらだった。Johnが別の仕事を始めるのでプロジェクトを離れたときは、本当にびびったよ。幸運にも継続は力なりで、夏の終わり頃にはArno BrinkmanとNikolay Samofatovが参加してくれて、大いに助けてもらったよ。彼ら無しではFirebird 1.5は無かっただろうね。それから、他にも大勢の開発者がプロジェクトに参加して一緒に作業を進めてくれていて、みんなに感謝したいな。
人生における最大の功績は、まだこれからなんじゃないかな。

Marina Novikova: いつもEメールにすぐ返事をくれるよね。一日に最高どれくらいメールのやりとりをしたことがある?それは誰と?

Dmitry Yemanov: 仕事メールを除外すべきだと思うんだけどいい?そうでないと、とんでもなく莫大な数になっちゃうからね。 まじめに考えると、数えたことはないよね、でもとっても多くの時間を割いてるのは間違いない。本当にたくさん時間をかけてるね。僕のメールボックスを見てみよう、どれどれ、今日は22通のEメールを出してるなぁ。全部Firebirdに関するものばかりだ。大体平均してこんなものだと思うよ。

Marina Novikova: バグは再生するものだと信じている?

Dmitry Yemanov: 確かに、僕自身そのプロセスにどっぷりつかっているよ。

Marina Novikova: 新しいアイデアやインスピレーションをどこから得てるの?

Dmitry Yemanov: さっき、ビールと音楽の話をしたと思うんだけど、そうだよね?実際のところ、僕はそういうものをどこからでも得ているんだ、ちょっとリラックスして自分の注意を他のところへ向けたりしてね。僕はたくさんのアイデアやいい考えを持っていて、それは寝ているときだったり、眠りにつくときだったり、仕事の行き帰りや、休憩中に思いついたものなんだ。

Marina Novikova: えーとねディマ、どうしてWindows版のクラシックバージョンをリリースしたの?Jim StarkeyとAnnとその他大勢の人たちは、一度に二つのサーバーを分岐して開発するのはナンセンスだと考えているし、一般的に考えてもそのことが開発を遅らせるだろうし、人々を待ちくたびれさせてしまうんじゃないの?どうして、SuperServerをもっと良いモノにするだけじゃだめなの?

Dmitry Yemanov: この質問に対する答えはいくつかに分けて答えないといけないなぁ。
1)僕は彼らの意見にもちろん賛成なんだけど、統合されたアーキテクチャ(キャッシュを共有した「正しい」SSやCSのどちらであっても)は将来の課題だと思ってる、ただそれはすごく近い将来というわけではないんだ。恐らくそれまでにまだ1年以上の時間がかかると思う。そうだとすると人々は今どうするべきだろうか?
2)現在のClassi版はUNIXプラットフォーム向けになっているので、win32のユーザーはそのために困っているんじゃないだろうか?それに加えて、ここにはボーランドから引き継いだモノがあるので、問題無くwin32向けのClassic版を作成することが可能なんだ。もっと込み入っていたとしたら、多分僕はClassic版に取りかからなかったと思う。
3)ボーランドがInterBase 7でSMPのサポートを宣伝して、Yaffilが彼らのwin32向けClassic版を作成した、僕らとしては取り組まざるを得ない状況になったんだ。特に、僕らはパワフルなマルチユーザ・アプリケーションをSMPマシン上で利用することについて話し合っていたんでね。
僕としてはwin32向けのClassic版は過渡的なソリューションだと思っているので、まあこれで満足するクライアントは少ないだろうと思っているし、両方のタイプのアーキテクチャーを全てのプラットフォームでテストする機会を得て、今後のサーバー開発の情報を得ることが出来ればいいなと思ってるんだ。
「正しい」SuperServerのためには、決してつまらない作業というわけではないと思うよ。IB 7.0を見た限りでは、特に何の刺激も受けなかった。強いて言えば、Charlie Caroは素晴らしいコーダーでアーキテクトだっていうことかな。そういう意味では、何でもそうだけど、外から見てるほど簡単じゃないんだよね。

Marina Novikova: InterBase 6のオープンソース版についてはどう思う?それってボーランドの手違いだったのかな?

Dmitry Yemanov: それについてはイエスだね。ボーランドは、製品の開発戦略を選択して、それに従ってきちんと仕事をすることができないということを、まあやって見せたんだよね。InterBase部門の経営方針を変更して、VARパートナー(訳注:付加価値再販業者の意、代理店のことですね)とこっそりとした陰謀を行って、漠然とした「オープンソース思想」を持ち出して、それで結局ユーザーの信頼を得られなかったんだ。今となっては、あらゆる事が良い方へ変わったんだけど、その産みの痛みが残ってしまっているんだよ。それに加えて、ボーランドはかなりの数のユーザーを失って、それらのユーザーはFirebirdとYaffilを代わりに使っている訳なんだ。
後の残りは全部幸運だったとしか言いようがないね、幸運がIB/FB/YAファミリー全部の開発を早めてくれたんだなぁ。

Marina Novikova: Firebirdの将来についてどう考えてるの?

Dmitry Yemanov: もちろん考えてるよ。まず絶対に成功を収めるだろうということ。僕は思うんだけど(自分がオプティミストだって言わなかったっけ?)ここ数年に起きたことから考えて、プロジェクトはより強固になっているし、ユーザーはその結果を見てるよね。これは僕にとってとてもハッピーなことだね。僕らはいろんな問題に取り組んでいるにはちがいないけど、かならず最後までやり遂げると思っているよ。

Marina Novikova: Firebirdをエンド・ユーザー向けの製品にしようと思ってるのかしら?私の言っている意味は、パッケージにサーバーとドキュメントとクライアント・アプリケーションと管理ツール、その他を全部含めるつもりなのかなということなんだけど。さもなければ、Firebirdを普通のオープンソース・プロジェクトと同程度のものにしておこうということなのかしら、それっていうのはユーザーがあらゆる必要なことを自分達自身で解決しなくてはならないというようなモノってことなんだけど?

Dmitry Yemanov: 僕らは前者のようになることを望んでいるんだけど、現在の政治状況から全ての対応するドキュメントとプログラムを全てオープン/フリーにする必要があるんだよね・・・。それらが形作られて作成されたとしたらね、まあやってみようとは思ってる。問題があるとしたら、とてもたくさんのプログラムがIB/FB/YA向けにありすぎて、どれかを一つ選んでパッケージに組み込むのが難しいということだろうね。そんなわけで、近い将来に僕らはサード・パーティの製品についてその概要とリンクを示すリストだけでもパッケージに含めたいと思ってるんだ。

Marina Novikova: もしあなたがボーランドのInterBaseセクションにいたとしたら、最初に何をやりたいと思う?

Dmitry Yemanov: すぐに辞めてFBのチームに合流するよ。

Marina Novikova: どうしてYaffilに行かなかったの?

Dmitry Yemanov: それは良い質問だね。最初にFBプロジェクトのメンバーになって、Olegが新しいクローンを作ろうと思っているとはわからなかったんだ。Yaffilプロジェクトが独立して、活発に活動を開始した後で、僕らはとても困難な時期を迎えたんだ。僕にもプライドや意地もあったので、自分自身で結果を出したかったんだ、プロジェクトが危機を乗り越えたとしても、あるいは破綻してしまったとしてもね。状況が悪い方へいってしまっていたら、今頃僕はYaffilに関わっていただろうね。でも、僕はFirebirdを去らなかったし、失敗もたくさんあったけど、それと同じくらいたくさんの努力をしてきんだ。

Marina Novikova: FB1.5の新しいメモリマネージャーは1.0のモノより良くなっていると考えてる?それから、どうしてそれを変更しようと思ったの?

Dmitry Yemanov: 間違いなく良くなっているよ、テストの結果もそう出ているしね。そもそもそれが理由で、僕らはメモリマネージャーを変更したんだ。 以前のメモリマネージャーは、すでに多くのブロックを配置した後では、新しく解放されたブロックの配置に関して制限があったんだ。標準的な例を挙げると、複雑なデータベースのリストアや、データに対する多数の操作、その他で発生してしまうんだ。今、僕らはこういった問題を解決してパフォーマンスを向上させることに成功したんだ。

Marina Novikova: 将来の優先事項はどうなってるのかな?最初に何を変更/作成したいと思ってる?

Dmitry Yemanov: そのリストは膨大なんだよ、最低でも1ページになっちゃうよ。 僕らはすでに将来のプランを作成しているんだけど(それはカンファレンスの参加者には手渡せるようになっているんだけど)、その中に大事なことは全部組み込まれているんだよ。要するに、既にわかっている問題を解決するだけで十分なんだ。
最後になるけど、Firebirdを選んで使ってくれているInterBase Worldのコミュニティの皆さんを決してがっかりさせたりしないように頑張りますよ!


旧Firebird日本ユーザー会サイトから移行した過去記事です。内容は当時の記録です。記事内のリンクなどはリンク切れなどにご注意ください。

過去記事掲載時URL(閉鎖予定):http://tech.firebird.gr.jp/firebird/site_rsrc/images/92/interview_dmitry_yemanov.html